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​      精神医療を考える(Ⅷ)

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第107回

 多動性障害というものは、子どもの病気です。ですから大人になれば自然に目立たなくなっていきます。

ですから、多動性障害は、病気だ、病気だと心配しすぎる必要もなく、ただ子どもが成長するのを待てばいいのです。

成長したら成長したで、落ち着きのなさが残っていたり、うっかりぼんやりしているところはあるかも知れません。

 

【でも、子どものうちから薬を飲んで、強引に治療しなければならないような深刻なものではありません】

 

 ただし、薬によって発達するわけではないことは、改めて強調しておきます。

自閉症スペクトラム障害にしても同じです。対人関係が苦手だったり、空気が読めなかったすることはあるでしょう。

しかし、人生経験を積み重ねることで弱点を補える可能性は十分にあります。

ただし、それは一朝一夕に身につくものではありません。

自分という個性と生涯にわたってつきあい、他者とつきあっていくことの困難さを肌で感じながら、少しずつ身につけていくものです。

 

 私たち、精神科医はあくまでも脇役です。精神科医が自ら進んで病気を「治療する」のではありません。

むしろ、患者さんが自分自身の人生を生きていこうとする時、その背を押し、小さな助言をすることを通して患者さん自身が「治っていく」のをお手伝いしているに過ぎないのです。

 実は、「発達障害」は、ここ最近に始まったものではなく、20Cからあったものです。

当時は、どちらかといえば、知的障害の一類型のような位置づけでした。

昭和生まれの父親母親世代の方なら思い浮かべることが出来るはずです。小中学生の頃、クラスに1人や2人、ちょっと変わった子、ユニークな子がいたはずです。
                                                            
 今、「発達障害」と診断されている子供たちのほとんどは、昭和の昔なら「発達障害」とは診断されてこなかったでしょう。元々、その概念がなかったからです。

そもそも、その子たちの行動も「変わっている」と思われたかも知れませんが、「病気だ」とは思われてなかったはずです。

 

 ところが、発達障害という概念が広まってから、そういった「ちょっと変わった子」たちは、少し問題を起こしただけで、小児科医や精神科医によって病気扱いされてしまうようになってしまいました。

 

 元々は、個性的ではあっても、病気ではなかったはずの子供たちです。

発達障害という概念が広まってしまった今、個性的な子供たちは、最も迷惑を被っていると言えるかも知れません。

「ユニークな子」として寛容には受け入れてはもらえない時代になってしまったようです。

​​第108回

 では、発達障害は「増えている」のでしょうか?

私は正確には「増えている」のではないと思っています。そう診断される機会が増えたのだと思います。

江戸時代は言うに及ばず、明治、大正、昭和の時代もほとんどいませんでした。

 

 発達障害が最近になって増えたのは、発達障害の概念が広がり診断件数が増えたからに過ぎません。

でも、発達障害の診断が得意な医師が増えたことは、いいことばかりではありません。

 

【発達障害と診断すれば子どもがよくなる、というわけではないからです】

 

 昔からクラスにいた「ちょっと変わった子」「落ち着きのない子」が簡単に「発達障害」と診断されてしまう。それが現代という時代の現状です。

その結果、「我が子が発達障害ではないか」あるいは「自分は発達障害ではないのか」と疑う人が増えたことも事実です。

特に思春期以降になると、「自分は○○障害ではないか」といって、強い意志を持って自ら受診してくる患者さんが少なくありません。

そんな時、心理検査を行えば、発達障害でないかどうかは、ある程度は分かります。

しかし、それが分かったから、どうだというのでしょう。

 

【大切なのは病名ではなくして、これから先、どう生きていくかです】

 精神科医が行う診断は、肝臓、心臓などの病気と違って客観的なデータがありません。ですから、病気かどうかは、相対的に診断するしかないのです。

絶対的な基準がない中で、病気と診断されることが、その人のメリットとなるでしょうか?

間違っても、お子さん本人が「自分は病気だ」などと卑下してとらえて欲しくないと思います。

もちろん、これから先、お子さんの人生には困難が待ち受けているでしょう。困ったこと、戸惑うこと、落ち込むこともあるでしょう。

 

 しかし、そうやって苦労しながら、自分なりに生きていく方法を探していかなければなりません。

困ったときにどうすればいいのか、こういう時はどう振る舞えばいいのか、そういった生きる知恵を私たち大人が授けてあげることは、病気を診断するよりもずっと大切です。

子供たちに薬を飲ませることについては「日本はひどい」とお思いでしょう。でも、海外はもっとひどいのです。

 

 最悪なのはアメリカです。

アメリカでは「発達障害ブーム」は、既に終わっていて、ブームは双極性障害(躁うつ病)に移りました。

「発達障害ゆえに」よりも、「双極性障害ゆえに」の方が、強引な薬物療法の口実になり得ます。

一言でいえば、双極性障害の過剰診断、それに伴う抗精神病薬と気分安定薬の薬漬けです。

これがわずか3歳の幼児ぐらいから行われているのです。

​​第109回

 現在、アメリカのメイヨークリニックに留学中の篠崎元さんという精神科医が、精神医療の実態を報告してくれています。

それによると

「小児思春期病棟で担当した患者の多くは、既往症に双極性障害が記載され、多くは気分安定薬や抗精神病薬を処方されていたが、その症状は、むしろその他の診断名の方がt駅頭と思われる場合がほとんどであった」

「精神科救急を担当していた時も、希死念慮を訴えたり、自殺企図でリストカットや大量服薬でERに運び込まれる患者を数多く担当したが、双極性障害との診断もされているケースを頻繁に経験した」

「そうした患者のほとんどは、抗うつ薬、抗不安薬、抗精神病薬に加えて気分安定薬を処方されていた」

 

 例えば、アメリカの精神科医モレノらの全米外来統計データによれば、児童思春期双極性障害の受診が、1994年当時から、わずか8年で40倍にもなっていた。

又、全米の入院治療後の退院記録を調べた研究でも、双極性障害による小児の入院が、1996年から2004年の期間に4倍に増えたとされているのだ。

 アメリカの児童思春期精神医学の混乱の背景に、1人の児童精神科医の存在があります。ハーバード大学教授のジョセフ・ビーダーマンです。

ビーダーマンは、1990年代前半から、小児双極性障害の存在を強硬に主張してきました。

1995年に、自分の外来にくる子供たちの6人に1人は、双極性障害の可能性があり、注意欠如多動性障害より頻度は高いとする論文を発表しました。

 

 ビーダーマンは、当時既に注意欠如多動性障害に関して製薬会社から多額の助成金を獲得して研究を続けていましたが、この頃から対象を双極性障害に移すことになりました。

彼が、小児に対して保険適用未承認の抗精神病薬を積極的に使うようにと、学会を通して強く主張していたからです。

ビーダーマン自身が、感情のアップダウンを呈する少年、少女を次から次へと双極性障害と診断し、かつ、そのような方法を同僚たちを通じてアメリカ全土に喧伝したのです。その当時、児童に対する抗精神病薬の投与が劇的に増加しました。

 

【双極性障害は、本来は成人の精神障害です】

 

 でも、ビーダーマンは、子どもの双極性障害は、生まれてすぐ「目を開けた瞬間から」始まるとすら主張したと言います。

しかし、あるとき、4歳の女児の過剰服薬による死亡事故が発生しました。

この女児を双極性障害と注意欠如多動性障害と診断していた主治医がビーダーマンのグループに治療方針に強く影響を受けていることが判明し、同グループの主張が世論の反発を招くことになりました。

 

 ビーダーマンは、製薬会社15社から研究助成金を受け取っていました。その中には抗精神病薬を扱っている企業も含まれていました。

彼の子どもに対するアグレッシブな薬物療法と、製薬会社の利潤追求の目的とは完全に一致していたのでした。

今後、児童に対する向精神薬の問題は、長期的、短期的の両視点から再検討されることになるでしょう。

 

第110回

 製薬会社の販売促進活動は、法的な許容範囲内であれば非難すべきことではありません。
でも、精神科医たちが、ビーダーマン教授のように御用学者になって製薬会社と一緒になって、製薬会社と一緒の踊ってしまうようなことがあってはなりません。
何より被害を受けるのは患者さんたちです。
そんなわけで、日本の精神科医たちは、ある程度警戒心を持っていましたから、日本の子どもの双極性障害が爆発的に増えるということはありませんでした。

 

 最近になって、急に「大人のADHD」など大人の発達障害が喧伝されるようになりました。子どもの発達障害のマーケットが、予想外に小さいことが分かったため、新たな市場へと進出しようという動きがここにはあります。
今のところ、思ったより大人に対するADHDの診断は、増えていないようです。

 

 本書で何度も言っているように、発達障害は成長と共に穏やかになっていくものです。
これから先、大人のADHDブームが起こらないとは限りません。
先ほど紹介した篠崎さんは「日本において同じ過ちを繰り返さないために我々、専門医に何が出来るか知恵を絞る必要がある」と述べています。アメリカの惨状は、もって他山の石としなければなりません。

 普通の病気なら診察をして、あるいは採血、採尿、レントゲンなどの医学的な検査を行って、その結果で診断を決定するはずです。
ただ、精神科の場合は、診断の決め手になる検査データがあるわけではありません。
面談をして、本人や家族から情報を聴取して、不確かながらも、とりあえず暫定的に診断するのが精神科の診断というものです。
 

 ですから、診断をすべき場にある私ども精神科医としては、その診断が間違う場合があることをいつも想定しています。
診断にある程度自信がある場合も、その診断名を本人に付すことに、その人の心の健康に害するものがあるかどうかを考えます。あえて、診断名を伝えないという選択肢をとる場合もあるのです。
発達障害を疑うお子さんの場合も、診察して診断して、その診断名を伝えることで、そのお子さんにどんな運命が待ち受けているのか考えてしまいます。

 

【その後のお子さんの長い人生を考えたとき、一番大切なことは「どう生きていくか」ということです】
その目的のために診断名を伝えることに意味があるのなら伝えればいい。
そうでなければ、あえて診断名を伝えることはしません。

 

 患者さんにとって「医師との出会いが運命を変える」といっても、決して言いすぎではありません。
医師には様々な考え方の人がいます。薬を積極的に使う人もいる。僧でない人もいる。人それぞれです。精神科医などは、まさにその傾向が強い。
医師との出会いも偶然。それが、その後の人生にどういう影響をもたらすのか、そのことの重みを感じながら、医師として身を処したいと私は思っています。

 

第111回

 

 もし、あなたやあなたのお子さんが今、かかっている医療に疑問を感じたら、別に医師の意見を聞いてみるといいでしょう。

セカンドオピニオン外来とは、他の医療機関に通院していたり入院していたりする患者さんを対象にして、エキスパートが意見を提供するものです。

 

 基本的には、保険外診療になります。又、元の病院からの転院を前提に行っているわけではありません。

しかし、セカンドオピニオン外来で別の医師の意見を聞く文化は、精神科の中にも定着させるべきだと思います。

セカンドオピニオン外来の目的は、主治医委の批判ではありません。むしろ現主治医の継続治療を前提として、主治医とは異なる視点から病歴を検討し、今後の治療に資する追加案ないし代替案を提案することが目的です。

 

 受診する患者さんの多くは、主治医の診断や治療に疑問を抱いています。中には私から見ても、明らかに薬の処方が多すぎると思われるケースがあります。患者さんには、そのメリット、デメリットを説明し、代替案を提案するようにしています。

精神科の治療に絶対はありませんし、何が正しいのか、何が間違っているかの基準はありません。

だからこそ、今の主治医と違う意見を聞けることは、患者さんにとっても大切なことなのです。

 アメリカの経営学者ピーター・ドラッカーは数々の名言を遺していることで知られていますが「最初の仕事はくじ引きである。最初から自分に適した仕事に就く確率は高くない」というのがあります。

又、ノートルダム清新学園理事長渡辺和子氏が著した著書は「置かれた場所で咲きなさい」と題されていました。

 

 発達障害のお子さんが、自分らしく幸せに生きていくためにどうすればいいのでしょうか?

誰しも人生の選択を間違えたくはありません。

ドラッカーのいうように、最初から自分に適した仕事につけるとは限りません。

だからといって「置かれた場所で咲く」というのは、私にはチャレンジ精神がなさ過ぎる気がします。

若いうちは植え替えられること、新しい環境に置かれることを目指すことも必要だと思います。

「置かれた場所で咲く」のは、シスターのような特殊なお立場の人の発言としては傾聴に値しますが、全ての人がその通りにすべきだとは思いません。

 

 若いうちは迷ったり、悩んだりするものですし、そうすることを通して自分の道を見つけていくものだと思います。

可能性の実験こそが、若者の特権だと私は思います。

 

第112回

 発達障害のお子さんは、適応能力が高いとはいえませんが、なかなか自分に合う場所が見つけらレ内科も知れません。他の人よりも失敗が多いかも知れません。迷いも悩みもつきものでしょう。

でも、あきらめることなく、自分の生きる場所を求めて、人生の度を続けて欲しいと思います。

 

 この世は、順風満帆な人だけで、出来上がっているわけではありません。

それどころか、ほとんどの人は、失敗や挫折を繰り返し、試行錯誤を繰り返しながら生きているはずです。

だから、敗者復活戦があり得るような社会であって欲しいとつくづく思います。

道に迷う中で、色々な経験をし、色々な人に出会い、その偶然の中で運命が展開していくところに人生の面白さがあります。

 

 そもそも、正しい道が初めから用意されているわけではありません。

発達障害のお子さんたちは、人生の前半は波乱含みのものとなるでしょう。

でも、その波乱の中で将来につながるものを見つけて、迷いの中で経験値を蓄積して、本人なりにそこから何かを学んでいけばいいのです。

 これまでの学会での議論の中からも以下のようなコンセンサスは出来つつあります。

 

 ①成長と共に、自閉症スペクトラム障害の診断を満たさなくなる人がいる。
 ②知的機能が高く、初期症状が軽かったケースに多い。
 ③言語、注意力、情緒的機能などに、依然として困難性は残る。

 

 総じて言えば、③に示される通り、人の思惑を察することが苦手で、症状を読み取ることが上手ではないといった自閉症スペクトラム障害の弱点は、完全になくなるわけではありません。

でも、想定外の出来事に対して、内心の動揺を表に出して取り乱すことは減り、表面的に取り繕うことは出来るようになっていくのです。

 

 発達障害という診断を「将来をあきらめよ」との宣告として受け止める必要はありません。

お父様、お母様としては、この診断を受けたことをきっかけに、お子さんの個性をよく見て欲しいと思います。

ご家族としては、ユニークなお子さんについて、これまでと変わらない大きな夢を抱いていただきたいと思います。

 

第113回

【連休中の「インド時間」が五月病を招くー「睡眠日誌」による自己管理を」

俗に「五月病」と呼ばれる状態は、いろいろ心理的に解釈されています。やれ「新しい環境に適応できない」、やれ「適応の努力も1ヶ月を過ぎて、ついに力尽きる」など。でも、こういう解釈はどれも今ひとつしっくりきません。

 

 しかし、会社に行けない理由として、朝方の腹痛、頭痛、倦怠感、ふらつきなどの心身の不調があれば、心理を探るよりも、先ず、連休中の「宵っ張りの朝寝坊」で、起床・就床パターンが通常より3~4時間遅くなっている場合が多く、時差にして「インド時間」に相当します。

朝方に強く現れる諸症状は、そのほとんどが自律神経症状(起立性低血圧)です。

 

 では、なぜ、自律神経症状が出るのか?

それは、自律神経の活動が、睡眠、覚醒リズムの影響下に置かれていて、睡眠相(何時に眠って、何時に覚醒するかのパターン)の変動に弱いからです。

連休中、本人の睡眠相が後退します。すると連休明けに音雷の社会生活に合わせようとして、心身に時差が発生し、そこから不調が生じるのです。

 

 すなわち、午前中強く、夕方から夜にかけて軽くなる心身の不調は、睡眠相後退による時差ぼけが原因です。

もしも、連休明けにこうした不調者が出たら、精神科受診を勧める前に「睡眠日誌」をつけさせ、睡眠・覚醒リズムの自己管理を行わせ、1ヶ月経っても全く改善が見られなければ、それからでも精神科受診は遅くありません。
 

「自殺対策は成功しているのか?」ー自殺総数の減少は団塊世代の高齢化によるー

日本の自殺対策は成功しているのか、それが問題です。

 

 警察庁の速報によれば、2015年の全国の自殺者は23971人、5年連続の減少となりました。しかし、1997年~2012年、「15年連続で自殺者が3万人」という時代がありました。2015年の数値は、自殺対策が成功したからかも知れません。

 

 しかし、楽観は禁物です。この減少は【人口動態がもたらした偶発事に過ぎない可能性】もあるからです。

 

 第一に、自殺には世代毎に差があり、40代、50代が好発年齢であること、第二に、日本の人口ピラミッドでは、1947年から49年までの3年間の出生数が際立って多かったことを忘れてはいけません。

この3年間の出生数役806万人(団塊の世代)で、その後の3年間より、24.3%多く、近年の330万人前後と比較すると約2.5倍にも相当します。

 

 そして1997年には、この団塊世代は、46歳~50歳となり、自殺好発年齢に達し、以来、この世代が全体を押し上げ、自殺者3万人時代が続きました。

 

 そして、2012年、団塊の世代は63歳~65歳となり、自殺好発年齢を通過しました。その結果、ハイリスク人口の減少に伴い、自殺者数も減ったのです。

 

 実は、年齢階層をそろえて死亡率を再計算した年齢調整死亡率では、日本はこの40年間ほとんど変化していないのです。

 

 今後、自殺対策の成否は、ある特定の年代において人口あたりの死亡率がどう推移しているかを見なければなりません。

危惧すべきは若年層、10代の自殺率は1990年以降、一貫して上昇し続けているのです。

 

第114回

【不登校の息子にどう接するか】ー適度のプレッシャーは必要ー

 

 中学3年生男子。クラス替えがあってから、クラスになじめず、5月の連休明けか休みがちになり、その後、完全に不登校に。

 本人に伝えるべきは、学校に行くか行かないかは、生死を賭けるような大問題ではないということ。中学校に行かなくても死ぬようなことは絶対ありません。

「なじめない」とか「違和感」といった感情は、徐々に自分というものが出来つつある証拠です。

 

 思春期とは「自分一人と他者全員」「小さな自分と大きな世界」といった不均衡な関係の中に投げ込まれる世代です。それは不安です。それこそが自分という者が出来つつある証拠なのです。ある程度は不安に耐えて、自分自身を鍛えていくべきだと思います。

 

 具体的な打開策を2点ほどあげます。

 

 第一は昼夜のリズムを正常化すること。7時に起床すること。それに合わせて、午後10時か11時には就寝すること。

 第二に勉強の遅れを取り戻すこと。個別指導の塾でもいい、家庭教師でも構いません。来春には高校受験があります。

 

 受験とは言い訳無用で勝負しなければいけない機会であり、このような「逃げてはいけない状況が人生にはある」という事実を思い知る上でも、受験は大切なイベントだと思います。

 

 最悪なのは引きこもってしまうこと。10代に家族以外の誰とも接しない数年間を持つことは、成長にとってマイナスです。この世代は、他者に対して少しの警戒感をもってつきあうという経験を持つべきです。その経験こそ、大人になってからの精神的な財産になります。

「不登校の娘にどう接するか」ー理由は分からなくても出来ることはある。

 

 中学1年生の女子。テニス部で先輩とのトラブルで5月の連休明けから学校を休むことが多くなり、夏休み以後、不登校に。理由を話さず。

不登校には、最初は理由はあったでしょうが、もう今となっては、時間も経っており、最初の理由から解きほぐしていっても実りはないでしょう。

 

 理由を語らせれば、それで学校に行けるわけでもないと思います。

逆にいえば、理由は分からなくても、出来ることはあります。

 

 先ず、周1回続けている塾の頻度を増やしましょう。そして、学校の先生と連絡を取って各科目の授業の進捗状況を教えてもらい、それを塾の先生に伝えて、追いつくための勉強を計画を一緒に作ってもらいます。

 

 起床、就床時間を登校前提の時間に設定します。

 

 学校に行けなくても、授業の行われている時間に机に向かい、一通り学校と同じ時間で過ごし、夕方は少し運動をするといいでしょう。

体力低下を最小限に留めるためにも、毎日、身体を動かしましょう。

登校の準備不足だと、せっかく再登校しても、勉強の遅れにショックを受け、あるいは体力的に疲れてしまって、又、不登校になってしまいます。

(週の終わり)や学期の初めや行事、学年末のクラス替えなどのタイミングで再登校を試みるのです。

 

第115回

 

A.「荒れる息子にどう接するか」ーファイルラインを示す厳しさー

 

 18歳男子。野球部を怪我して退部後、非行に走る。バイク、校内喫煙、他校との集団乱闘事件、車の窃盗、無免許運転事件など。少年鑑別所から出所。母は看護師として二交代勤務。時間がなく息子とどうつきあえばいいか分からない。

 

 お母様としては、先ず、看護士の仕事は続けるべきです。働く母の後ろ姿は、思春期の息子の目に入っている筈です。

お母様だけでなく、親戚の方々など、色々な人に関わってもらって彼を取り巻くチームを作ることです。

 

 大人たちとしては、小さな逸脱には目をつぶるとしても、「これ以上は許されない」というときには、断固とした態度を取るべきです。

 

 器物損壊、窃盗、無免許運転などの逸脱行為に対しては責任を取らせていいと思います。

 ご子息の逸脱行動には「ファウルラインがどこだか教えてくれ」という大人たちへのメッセージも含まれていると理解するべきです。ここで、大人たちが優柔不断な態度をとると、彼はいつまでたっても「どこまでがOKなのか。どこからは許されないのか」が分からずじまいになってしまいます。

 

 その一方で、敗者復活戦の機会を与えることも必要です。

学業、資格取得、就労などを支援し、ご子息が自力で未来を作っていけるよう、その具体案を一緒に考えてあげることが必要です。

B.「引きこもりの息子にどう接するか」ー偶然の出来事が人生を変えるー

 

 16歳男子。小さい頃から内向的。私立高校に進学後、友人とのいさかいから不登校、1年秋に退学。単位制高校もなじめず退学。現在、終日、自室にこもっている。

私どもは、「わかってあげよう」とか「よりそってあげよう」といったことはそんなに考えていません。

むしろ「そんなに家の中にこもっていては退屈じゃないのか」「運動不足は身体によくない」といったひどく当たり前のことから語りかけます。

【若者は退屈には耐えられません】

ワクワクする体験であれば何でもいいのです。とにかく誘ってみましょう。
       
 とにかく、息子さんの関心を六畳一間の空間から外へ向けさせることです。

知的刺激を与えること、そして、そのための活動が結果として適度に肉体を疲労させ、身体に好影響を与えるものがいいのです。

 そのうちにふとした出来事をきっかけに、本人はがらりと変わります。

若者は、小さなきっかけで別人のようになります。そんな偶然が発生しやすい条件を整えればいいのです。

 

第116回

 

 小学校5年男子、父の転勤に伴い転校。それまでやっていたアイスホッケーも出来なくなり、新しい学校になじめず、落ち着きがなく、学校の先生の勧めで、児童精神科のクリニックを受診し「ADHD」(注意欠如多動性障害)と診断され、コンサータを処方(1回だけ飲んでやめる)。学校の先生は、「病院に通わせて、治療を続けなさい」と言われ、親として戸惑っている。

 

回答

 

 通院も服薬もすべきではないと思います。精神科クリニックは「強制治療」を行う場ではありません。

ご子息は「こころは、いつも16ビート」のような活発な少年でしょう。

 

 現在は、学校や塾でエネルギーが不完全燃焼の状態です。だから、課題は彼のエネルギーをどう燃焼させるかです。

 

【筋肉の疲れは、多動を抑えます。それに、深い睡眠をもたらし、結果としては日中の覚醒度を高めてくれるのです】

【多動は、眠いのに眠れないような中途半端なときに現れます】

 

 目がしっかり覚めて、頭がクリアなら自制することが出来ます。しっかり目覚めている訳でも、ぐっすり眠っている訳でもない意識がトワイライトにある時間帯が最も多動になります。

 

 これを人工的に目覚めている側にシフトさせる薬剤がコンサータです。

でも、これは不自然な方法で、期間限定で飲んでも構いませんが、何れはやめるべき薬です。ジョギングでも、他のスポーツでも、何でもいいですから、多動性を吸収するものをあてがえば、問題は解消します。

「たくましい子どもを育てる」ー親亡き後も人生を生き延びていくためにー

 

 日本には子どもを一度、捨てる風習がありました。

これは、取子と呼ばれるもので、捨てられてもたくましく生き延びた子は強いから育てていこうというものです。

こん少子化の時代にあって、「子どもをたくましく育てる」ことは、存外に難しい課題です。

 

 私は、日々、繊細すぎる少年、少女たちと接しています。学校に行かず、引きこもってしまった生徒たちです。

私が彼らに言っているのは、「お父さん、お母さんのもとを離れる日は遠くない。これから君が自分の足で自分の人生を歩いて行かなければいけない」 ということです。

 

 私は、彼らを安心させるとか、癒やすといった意識は持っていません。むしろ、危機感を持たせるようにしています。

 

「いずれ、一人で生きていかないといけない。このままじゃ、まずいと思うぜ」と何度も言っています。

親が生きている間に、いかにして一人で生き延びていく力を培っていくか、そこには子にとってだけでなく、親にとっても厳しい課題が秘められているように思います。

 

第117回

 

「ディスレクシア(読字障害)」ー話すことは得意なのに読み書きは苦手ー

 

 中学で英語教育が本格化すると、それまで勉強が出来ると思われていた生徒の中に英語だけ苦手な生徒がいることに気づかれます。

特に「読み書き」が出来ない。英単語が覚えられない。間違って発音してしまうなどです。

 

 学習障害については、いくつかのタイプがありますが、英語に限っての成績不振の場合、ここにディスレクシア(読字障害)と呼ばれるものが潜んでいる可能性があります。

中学に入って英語が読めない生徒は、国語についても「朗読が苦手」であり、「漢字が読めない」場合が多い。

従って、小学生時代に気づかれなかったディスレクシアが、中学に入って英語という新科目に接することで露呈すると考えるべきと思われます。

 

 南雲明彦氏という自らディスレクシアであることを公開して、啓発活動を行っている青年がいます。

彼の話しぶりは、抑揚や強弱、早い、遅いの変化が豊かで、「読む・書く」のハンディを「話す・聞く」で補っていることがわかります。

 

 言語の視覚情報(書かれた文字)を音声情報に翻訳することは苦手であり、それを補うためにメモを取る代わりに携帯にメモ代わりに録音させたというエピソードが印象的です。

 

 ディスレクシアを含め、学習障害の人の生きるための作戦には、①弱いところを努力して克服することと、②強いところを伸ばして弱いところを補うことです。

「人生には別の道もある」ー不登校で死ぬことは絶対にないー

 

 ここ数年、毎年、自殺者総数は減っていますが、年齢階層を揃えて死亡率を再計算した年齢調整死亡率を見る限り、日本の自殺に大きな増減はありません。

自殺者総数の減少は、この国がもはや自殺者を3万人も出すことが出来ないほどに老いてしまったことを示すに過ぎません。                               

 

 しかし、その一方で、若者の自殺は減っていません。10代の自殺率は1990年以降、一貫して上昇し続けているというデータもあります。

現実の世界で、何も自殺まで考える必要はないと思います。「他にも道がある」と考えればいいのです。

 

 例えば、不登校の生徒がいるとします。この生徒に最初に話すことは「不登校で死ぬことは絶対にない」ということです。

学校なんか行かなくったって死にやしません。もちろん、高校はともかく、中学は義務教育ですから行った方がいい。

でも、行けないからといって、学校なんか命と引き換えに行くような所ではありません。

 

 どうしても登校できなければ、無理は言いません。単位制高校、定時制高校に転校してもいいでしょう。高校を中退して、予備校に通って高校卒業認定試験を経て大学に行く方法だってあります。

 

 私の所に来るほとんどの中高生は、そうやって新たな道を探して生きていきました。

不登校の経験は挫折だったと思います。でも、それは自殺しなければならないほどの事態ではありません。

 

 人生には敗者復活戦が用意されています。大人たちのすべきことは「他にも道がある」ことを説得力を持って伝えていくことなのです。

 

第118回

 こころの健康にとって、生活習慣の主たる問題は3つしかありません。

 

 睡眠不足、運動不足、酒の飲み過ぎです。

 

 従って、こころを健康にするための生活習慣も3つしかありません。

 

 十分眠る、十分歩く、酒を飲み過ぎない、以上です。

 

 これらを是正することは、簡単なようで難しい。その理由は、一人一人にすべきことがたくさんあるからです。

誰一人として自分の意思で24時間を作れる人はいません。仕事もあれば家庭もあります。上司も同僚、顧客もいる。会議あって納期も迫ります。緊急事態も発生する。

 

 これらは、日常の些事のように見えて、実はその中に生きる目的があります。

人生の意味は、クリニックに通うことで見つかるわけではありません。むしろ、一見、些事に見える日々の生活の中にこそ、人生の意味があります。

人の人生にはその人なりの目的があり、人の生活には、その人なりの価値がある。そこに個人の尊厳があり、人生の意義があります。

 

「薬に頼らない」とはすなわち「医師に頼らない」ことでもあるはずで、人生の主役はご自身です。

もし、専門家をコーチにつけてみたいとお思いの方がおられるならば、短期間であれ、メンタルクリニックに通うのも悪くはないでしょう。

私の獨協医科大学埼玉越谷病院「こころの診療科」もそうですが(要紹介状)、都内にもいくつか「薬に頼らない」ことを標榜しているメンタルクリニックがあります。個人的に知っているところは、JR神田駅北口に「ベリスクリニック」があります。田中伸明院長は、元ビジネスマンであり、働く都会人のストレス状況を熟知しています(終)

 

第119回

 

 ここからは、「うつの常識、じつは非常識」(井原裕・ディスカバー携書・2016年刊)を取り上げます。

 白衣を着た私の前に座る人は、口々に、うつ、不眠、不安を訴えます。

そんなメンタル不調を訴える人に共通するのは、心身の疲弊であり、その背景には例外なく生活習慣の問題が隠れています。

 

 生活習慣の問題といっても、それは喫煙でもなければ、食事でもありません。むしろ、それは「眠り」です。【極端にいって、睡眠の絶対適量が不足しているのです】

 

 都市は確かに眠らない街と化したけれど、そこに住む人々も環境の変化と共に眠らない新型人類に進化したわけではありません。

 

 私たちは、依然としてホモ・サピエンスで、【350万年前に直立歩行を始めた頃と変わらない昼行性の動物です】

日の出と共に起きて、活動し、日が沈めば眠る、そういった昼行性の動物として、ヒトは進化してきました。

19C後半に、トーマス・エジソンが、白熱電球を発明し、以来、人々は暗闇にも光をともすことが出来るようになりました。

 

 でも、だからといってヒトの身体までが白熱電球と共に休息に進化を遂げることは出来ません。

私たちは決して、24時間対応型の新型身体を身にまとえるようになった訳ではないのです。

 

第120回

 それなのに、私たち日本人には愚かな「不眠不休信仰」があります。高度経済成長期に「モーレツ」という言葉が流行りました。

家庭の幸福を顧みず、会社のために、ただひたすら猛然と働く企業戦士たち、こういった粉骨砕身の猛然たる仕事ぶりこそ、日本のサラリーマンのあるべき姿とされてきました。

 

「出来る人間は眠らない」かのごとき短時間睡眠信仰が出来上がってしまいました。

 

 私は、都市生活がもたらしたうつを便宜的に「都市型うつ」と呼んでいます。

その本質は、心身の疲弊であり、それをもたらしたのは睡眠の不足です。

睡眠は、量の不足を質で補うことなど決して出来ません。十分量の睡眠、一定の睡眠時間を確保しなければ、ヒトの体は壊れるように出来ています。

 

 睡眠の量が絶対的に不足している状態にあっては、いかなる抗うつ薬も抗不安薬も無力です。

【睡眠こそが、健康を回復する力の源泉であり】、逆に睡眠を奪ってしまえば、いかなる薬剤もその効果を発揮できません。

 

 薬剤の力など、たかだかヒトの本来の治癒力を助けるぐらいのことしか出来ません。

ヒト、本来の回復力、治癒力は、身体の中に内在していて、それを発揮させる時間こそが睡眠中なのです。

 私は、ここ10年ほど、主として都市部の患者さんの、うつ、不安、不眠を診てきました。その間、年々、抗うつ薬、抗不安薬、睡眠薬の処方量が減ってきました。

その理由は簡単です。その必要がないからです。

 

 別段、私は意地を張って「薬は使わない」と決心して望んでいるわけではなく、必要なら使います。でも実際には、その必要な場合というのは、決して多くはありません。

 

 薬を使わなくて済んでいるのは、都市型うつの病理の本質が、心身の疲弊であり、それは薬を使えば治るようなものではないからです。

 

 1日7時間の睡眠を何とか確保すれば、患者さん側で自然と治っていく場合が多いのです。

抗うつ薬も睡眠薬も「飲むな」とは申しません。しかし、飲むとしてもその目的は「7時間の睡眠を確保すること」です。

「薬にうつを治させる」のではなく、「薬を介して睡眠をしてうつを治させる」ことが大切です。

 

 【だから、薬の使用は「期間限定」であり、睡眠、覚醒リズムが安定してきた時に、その役目は終わります】

睡眠さえ確保できれば、心身の疲弊は解消します。あとは心身の活力の回復に足を引っ張る薬剤は、さっさと切った方がいいのです。

薬を減らし、いっそのことやめてしまった方が、よほどきれいに治ります。

​​第121回

 SSRIが日本に上陸した際、製薬会社が販売戦略の一環として作った宣伝文句は【うつは心の風邪】でした。
            
 1999年以降、このキャッチコピーと共に、「うつ病」のチェックリストも製薬会社により各精神病院に広く行き渡り、大手メデアをはじめ一斉に「あなたの苦しみはうつかも知れません、是非一度、病院へ」と呷られて、どれだけ多くの人が精神科の診察室の椅子に座ったことでしょうか?

 つまり、ファイザーをはじめとする海外の大手製薬会社は、薬そのものではなく「うつ」という病気を宣伝する作戦に出たのです。

その結果、2006年には、抗うつ薬の市場規模は、870億円に膨れあがり、SSRIが登場する以前の6倍もの膨らみをもたらしました。

 

 これと「うつ病」の患者が急増した背景として、90年代、都市銀行や大手証券会社の倒産が相次ぎ、もがき、喘ぎ、苦しみ、ついには刀折れ、矢尽きた都会人たちが救いを求めて精神科クリニックのドアを叩くようになりました。

学会が栄進病としての「鬱病」と、心の悩みとしての「ノイローゼ」との線引きをなくしまとめて「うつ病」としたのもこの時です。

 

 需要は供給の増大を促します。

精神科医院の急拡大も2000年代に入ってからで、「精神科」への抵抗を低くするために、やたらと「メンタルクリニック」(心療内科)が、都市の駅前に相次いで生まれました。

ビジネスパーソンにとっては、通勤のついでに気軽に立ち寄れる場所になったのです。

そして、「うつ病」患者の急増を見た医学生の間では、「精神科」は一躍、】人気の就職先となっていったのです。

 さらに「うつ病」が急増した背景には、精神科医たちの質の変化があります。

「うつ病」の患者さんが増え続けると共に、医学生の間で精神科は人気の就職先となりました。

 

 しかし、もとはといえば、精神科はちょっとユニークな医学生が行くところでした。

かつて、ドイツの著名な精神科医ホッヘは「医者の中で精神科医ほど、変人が集まっている分野はない」と語っていましたが、客観的に見れば、今も昔も、精神科医たちは、何れ劣らぬ「変人」ぞろいと言えます。

ところが、驚くべきことに「変人ではないにも関わらず、精神医学を学ぼうとする医学生」が出てき始めたのです。

 

 医学生の志望は時代を反映します。近年は訴訟リスクの大きい診療科というのは、敬遠される傾向にあります。

それだけでなく、仕事と詩生活のバランス、開業時の経営の安定性、封建的な医局人事の会費、さらに高度高齢化社会の到来など、そういった様々な要因を入れれば、精神科はずば抜けて条件に恵まれています。

 

 しかし、実は精神科になってみないとわからないリスクもあります。

それは、医学部の授業で教わった精神医学が、実際の診療室では文字通り【何の役にも立たない】ということです。

 

 

 


 

 


 

 


 

 


 

 

 


 

 


 

 


 

 


 

 

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