精神医療を考える(Ⅶ)
第90回
発達障害の子供に対して、薬を処方すること自体、最近始まったばかりのことです。
例えば、10歳の子供に60年間、薬を飲ませ続けて、その結果、その子が70歳のこうれいしゃになった時にどのような弊害があるかについて、全くデータがありません。安全なのか、危険なのか誰も知りません。
生涯を薬と共に過ごすことによって、その人の人生がどのようなものになるのか、全くわかっていないのです。
昔も薬を飲んでいた子供はいました。しかし、今のような大きな規模で、長期間にわたって、医師、教師、親たちのプレッシャーの中で、子供たちが薬を飲まされるようなことは過去にはありませんでした。
これが、将来、どんなマイナスの影響を及ぼすかについては、誰も知りませんし、誰も責任を持って発言することは出来ない筈です。
私は精神科医として責任のある立場です。だから、「長い間、薬を飲んでも問題はありません」等とは、口が裂けても言えません。
そもそも「問題なし」とか「大丈夫」等と言える小児科医、精神科医はいない筈です。
なぜなら「問題なし」を説明する根拠などないし、大丈夫かどうかなど、誰もデータを持っていないからです。
しかし、どんな薬にも言えることですが、リスクとベネフィット(利益)、メリットとデメリットとを天秤にかけ、そして医者と患者さんとそのご家族が十分、話し合った上で、双方納得して使うべきだということです。(続く)
No194
そもそも子供は落ち着きがないものです。落ち着きがなくて正常。子供のデフォルト(標準行動)は多動であると言っていいでしょう。
6~18歳頃、つまり、学校教育を受ける時期というものは、ヒトという動物が最も活発な時期、最も多動な時期の筈です。
この時期に「45分間、大人しく座っていなさい」といわれることは、子供たちにとってなかなか大変なことだと思います。
例えば、同じ霊長類であるチンパンジーの場合、ヒトより寿命が短いことを考慮すれば、ヒトの就学年齢に相当するのは4歳くらいでしょう?
この年齢のチンパンジー40頭を1つの部屋に閉じ込めて、「45分間、座っていろ」と指示して守ってくれるでしょうか?
子供たちを座らせて勉強させることは必要です。
でも、それは一面では、「かなりの無理を強いているという事実」だけは、ここに強調しておきたいと思います。
特にお子さんが多動で悩んでいらっしゃるお父様お母様に、是非、お伝えしたいことがあります、
【それは、子供の落ち着きのなさ(多動)は、大人になれば自然に治っていくということです】
【最近になって「大人のADHD」とやらが必要以上に注目を浴びるようになりましたが、注意欠如多動性障害(ADHD)は全くもって子供の病気です】
幼稚園、小学校低学年くらいまでは、跳んだり跳ねたり落ち着きがない子供でも。小学校の高学年くらいから落ち着き始め、中高生になったら、もはや多動ではいられなくなります。
【ですから、ADHDは体が大きくなるのを待てばいいだけなのです】
第91回
例えば、自閉症スペクトラム障害(広汎性発達障害)の場合。
学校にうまく適応できていない時、昼夜逆転で生活習慣が乱れ、軽いうつ状態にある時、そんな時は、人の思惑を察するのがますます下手になり、想定外の出来事にうろたえる傾向もいっそう強くなり、些細な偶発時でも見苦しいまでに取り乱してしまう。
まさに、自閉症スペクトラム障害の弱点が、不適応の時に限って露呈してしまいます。
多動性障害の子供の場合、生活習慣の乱れがあると、症状は甚だ強く出てきます。
具体的には、睡眠の乱れです。
短時間睡眠や昼夜逆転の状況にあると、多動の子供はますます多動になり、不注意な子供はますます不注意が目立ってきます。
多動性障害の場合、少し眠いが眠り込む程ではないという状態の時に、最も多動が強く現れます。
それと適度な肉体疲労は、多動を抑制してくれます。
逆に言えば、生活習慣を整えて、肉体的、精神的な状態を整えれば、そのお子さんなりに落ち着いた生活を送ることが出来、トラブルを起こすことも減るし、先生や親から叱られてばかりという状況も改善されるでしょう。
母親が、息子の小学生A君が、落ち着きがない、もしかするとADHDかも知れない、薬を飲ませた方がいいのでしょうか?とご相談にやってきました。
夜は12時に就寝し、朝は7時に起きているとのことでしたが、「慌てて薬を飲むことはありません」。
「7時間も寝ていればいいではないか」と思われる人もいるかも知れませんが、でもそれは大人の場合です。
お母様に「夜は出来れば9時、どんなに遅くとも10時までには寝かせて下さい」とお伝えしました。
すると1週間後、A君はすっかり落ち着いてしまいました。たった1週間です。
【もし、あなたのお子さんが、発達障害と診断され、薬を飲んでいるなら先ず、生活週間を見直してみて下さい】
【その症状は、睡眠が足りないことで強くなっている可能性があります】
その場合、睡眠時間をそれまでより1~2時間増やしてみて下さい。目安は、平日の睡眠時間を増やし、その結果、休日にそれ程、朝寝坊しなくて済む程度です。
休日にプラス2時間程度の朝寝坊で済むぐらいに、平日から十分な睡眠を与えておくこと、休日に放っておけば昼まで寝ているほどの平日の寝不足が一番いけないのです。
睡眠を改善することで、お子さんが落ち着けば、今、処方されている薬は必要ないと言っていいでしょう。
第92回
私は元々薬を大量に処方することは控えるタイプの医者でした。その根底には、自治医科大学名誉教授で恩師である故宮本忠雄先生の教えが流れています。
先生は常々、精神医学の定義は【こころで癒やすこと】だとおっしゃっていました。精神医学とは精神療法のことだとおっしゃっていたのです。
精神科医の仕事は、第一に精神療法であり、薬物療法やまして電気痙攣療法などは、第二義的なものに過ぎません。
端的にいって、こんなものは精神科医でなくても出来るのです。
外科医のアイデンティティが手術であるように、精神科医のアイデンティティは精神療法にある。精神療法の出来ない一流の精神科医というものはあり得ません。だから、精神科医を生涯の仕事にしようと思ったら、精神療法の技術を高めることが生涯の課題となるわけです。
薬に頼らないのは反精神医学イデオロギーでやっているわけではなく、ただ、早く効率的に結果が出る方法をとりたかったからに過ぎません。
患者さんからの強いプレッシャーがなければ、こういう方法はとらなかったと思います。
例えば、診療基準にのっとって正しく診断し、ガイドライン通りに薬物療法を行ったとします。それでも、結果が出ないことことは多々あります。そんな時、「なかなか良くなりませんが、でも正しい治療法を探っているのです」などという言い訳は患者さんには通用しません。
「薬に頼らない精神科医」とは、言い方を変えれば【生活習慣に介入する精神科医】ということです。
そしてそこでは、医師はアドバイスこが、そするけれども、あくまでも主役は患者さん本人、大切なのは患者さんの自助努力です。
薬に頼らないということは、医者が薬にたよらないということだけでなく、「何よりも患者さん自身が薬に頼らないで生活を変えていく覚悟を持って下さい」ということなのです。
発達障害にせよ、その他の精神疾患にせよ、生活習慣を整えることはとても大切なことです。
生活習慣病とは、高血圧症、糖尿病、脂質異常症などに代表される病気で、その発症において食事、運動、睡眠、喫煙、飲酒などの生活習慣が大きく関わっている疾患の総称です。
言い換えれば、生活習慣さえ整えておけば防げたかも知れない疾患であり、生活習慣を整えれば、今からでも改善が見込める疾患だということです。
今、先進国の主な死因は、心臓疾患、癌、脳血管障害、閉塞性肺疾患などです。
モクダットらが、2000年におけるアメリカ人の死因を分析し、その生活習慣の関与を以下のように推測しています。
全死亡例に対する寄与の程度は、上位からタバコ(18.1%)、食生活の問題と運動不足(16.6%)、アルコール3.5%)・・・上位2者だけで、34.7%ですので、死亡例の3分の1は、生活習慣の問題だと言えます。
【しかも、これらの生活習慣病のもととなる慢性疾患を薬が殆ど治していないという事実があります】
慢性疾患の薬物療法で、原因に対する治療になっているものはほとんどありません。慢性疾患においては「生涯にわたって薬を飲み続けなければならない」とよく言われます。
確かにそれが必要な患者さんもいるでしょう。
でも、生涯にわたって本当に必要なことは【健康な生活習慣】です。
治療の第一は健康な生活習慣であり、これを生涯にわたって続けること、そうしてはじめて薬物療法も意味を持ちます。
第93回
生活習慣を整えることこそが本当の治療なのです。もちろん、薬物療法を否定するわけではありません。
でも、本来、薬物療法は生活習慣の改善に付随して行うべきであり、運動、食事、睡眠、禁煙などをおこなって初めて意義を持つものなのです。
ことは生活習慣病だけではありません。発達障害やその他の精神疾患においても同様です。
【薬は健康を創るものではありません、健康を創るのは生活習慣なのです】
うつ病の患者さんに抗うつ薬を処方した場合、効果が現れるのに2週間くらいはかかります。
一方で生活習慣に介入した場合、患者さん本人が実行すると1週間後には動きがあります。もちろん、1週間後に完全に治っているわけではありません。
しかし、初診時との明らかな違いが現れてきていますから、治療する側も、患者さんも安心して効果に期待するようになります。
何年もうつに悩まされ、薬漬けになった患者さんに対して、薬を漸減して、生活習慣のアドバイスをしたら、毎週、会う度に良くなっていくなどということは珍しくありません。
【本当に頼りになるのは、薬ではなく生活習慣の方です】
いつ効くかわからない、効いたら儲けもの程度の頼りない薬など、あてにしていられなくなるのです。
日本では病院を受診したら、患者さんが薬をもらいたがる傾向があります。
2017年12月、高齢者が多くの薬を服用する「薬漬け」を是正するために、厚労省は医師や薬剤師を対象に「高齢者医薬品適正使用ガイドライン」骨子案をまとめました。国レベルで高齢者の内服薬に関する指針を作成するのは初めてだということです。
しかし、「薬漬け」を是正するには、医師や薬剤師だけでなく、患者さん側の意識改革も必要です。
薬を処方しないと「薬はないのですか?」と聞かれることもあります。中には、薬を処方されないからと二度と来なくなる患者さんもいました。
精神科医の中にも、「あなたの病気は治りません。生涯にわたって薬を飲み続ける必要があります」と言って患者さんを脅かす人もいます。
それに対して、私はこう言います。
「あなたの病気は、生涯にわたって続く可能性があります。それをコントロールするために生活習慣を意識的に整えた生活を続けていきましょう」
【生涯にわたって薬を飲まなければならないというのは、営業用のセールストークと言わざるを得ないでしょう】
【本当に生涯にわたって必要なことは、薬ではなく、むしろ、健康な生活習慣を続けることなのです】
薬とは、「必要な人が、必要な時に、必要な量を、必要な期間に限って飲む時に、本来の効果をはっきするものです」
第94回
医師と患者はあくまでも対等な関係でいなくてはならず、常にフィフティフィフティであるべきです。
それはどういうことかというと、それぞれが発言する権利を持ち、その分、責任も対等に持つということです。例えるなら、企業経営者とコンサルタントの関係、あるいはスポーツ選手とコーチのような関係と捉えるとわかりやすいかも知れません。
私は、精神科医と患者の関係も同じように考えています。
精神科医も提案や助言は出来ますが、それを実行に移すのは患者さん自身です。医師が「治して差し上げます」ということではないのです。
私たち精神科医に出来ることは限られています。そういう意味では、嘘はつきませんし、大げさなことは言いません。あくまでも正直に、誠実にお話をします。
実は、「私は、これまでに1人の患者さんも治したことはありません」
ただ「こうしたら治ります」という提案をしてきたに過ぎません。その提案を受け入れ、生活習慣改善を実践して下さった患者さんが、自らを治療して見事に治っていった例はたくさん見てきました。
患者さんご自身で努力をして下さいということは、何度も申し上げています。もちろん、発達障害のように、患者さんがお子さんの場合は、、ご家族もご一緒に生活習慣の改善に取り組んでいただくという意識が必要です。(続く)
でも実際は、さらに進んで生活習慣を整えることは、もはや治療そのものであるとすら言えます。
生活習慣(ライフスタイル)に介入することは、病気の根本的な解決につながります。
生活習慣医学「ライフスタイル・メディシン」という言葉が今、注目されています。
「ライフスタイル・メディシン」とは、健康的なライフスタイルを送ることによって、慢性的な病気の予防はもちろん、その管理や治療にも役立つという考え方で、ハーバード・メディカルスクールなどでも、実践されています。
【生活習慣の改善こそ、治療の主体です】
でも、ほとんどの精神科では今、薬物療法が主流になっていて、おまけのように「規則正しい生活をおくってくださいね」と言い添える程度でしょう。
そんな風に付け加えるお題目など、患者さんが実践してくれる筈もありません。
私の主宰する科では、生活習慣について、あれをしろ、これをしろ、あれをするな、これをするなと、実に細かくアドバイスをします。
患者さんからすれば、日本で一番お説教の多い精神科かも知れません。
患者さんが思いのたけをお話しして下さるのが無意味だとは思いません。ただそれで、こころが一時的にすっきりしても、生活習慣を変えてもらわなければ、根本的には何も変わらないのです。
第95回
広汎性発達障害(自閉症スペクトラム障害など)のお子さんは、状況判断が甘く、人の思惑を察することが苦手で空気が読めない。そして想定外の出来事に遭遇したときに、うろたえ、たじろぎ、取り乱しがちです。
このような傾向は、うつ状態だったり、イライラしていたりして、こころに余裕がない時に多い。
なぜ、こころに余裕がないのか、それは十分な睡眠によって、こころの余裕を回復して朝を迎えることが出来ていないからです。睡眠は、脳に余裕を与えます。感情の抑えを利かせることが出来ます。
つまり、睡眠時間が足りていないと、多動の子はますます多動になり、自閉症スペクトラム障害の子は、ますます、それらしくなってしまうのです。寝不足はその子の欠点ばかりをデフォルメしてしまうといっていいでしょう。
【寝る時間を1時間早くしただけで、1週間後に症状が改善した少年がいるのです】
発達障害は、持って生まれたの。「持って生まれた病気」といえば、深刻な響きがありますが、【持って生まれた特性】といえばいいでしょう。
【だから、完璧に治るものではないし、その必要もありません。治さなければいけない程の病気ではないのです】
先述したように、注意欠如多動性障害は大人になれば落ち着いてきます。自閉症スペクトラム障害は、大人になれば理屈で考えて冷静に行動できるようにもなってきます。
【つまり、放っておいても、成長と共に落ち着いてくるのです】
【こういう特性は、症状だの病気だのと空騒ぎするほどのことではありません。治さなければいけない程のものではないし、特段、人に迷惑がかからなければそれでいいのです】
子どもには、どれくらいの睡眠時間が必要なのでしょうか?
子どもにとって必要な睡眠時間は大人よりはるかに長いものがあります。要は、早く床について、眠って眠って、これ以上眠れない位眠って、自然に目が覚めるまで眠るのが本来の睡眠です。
具体的な数字の目安は以下の通りです。
小学校低学年 10時間以上
小学校高学年 9時間以上
中学生 8時間以上
高校生 7時間以上
大まかに言えば、年代に応じて1時間ずつ減っていくと覚えておけばいいでしょう。ちなみに大人の場合は7~8時間の睡眠が必要です。
質のいい睡眠をとりにくくなっている理由は運動不足にあります。
ゲームやネットに接する時間が長くなって、その分、飛んだり、跳ねたり、走ったりといった、子ども本来の活動に費やす時間が相対的に短くなっていきます。夜遅くまでブルーライトを浴びていれば、体内時計が微妙な狂いを生じてきます。
睡眠時間の長さ以外に気をつけるポイントとしては以下の3つがあります。
1. 起床時刻を同じにすること。
2. 休日の朝寝坊は、ずれるとしても2時間までに。
3. 昼夜逆転の生活は問題外。
第96回
何よりも起きる時刻と寝る時刻とを一定にすることが基本です。それが難しければ、先ず先にすべきは【起床時刻を定時化することです】
なぜなら、起床時刻を一定にすると、眠くなる時刻も一定になってくるからです。つまり「早起き、早寝が基本。先ずは早起きからスタート」ということになります。
人間は、目覚めてからおよそ14~16時間後に、メラトニンという睡眠を促すホルモンの分泌が高まり、これに促されて脈拍、体温、血圧などが低下します。こうして体に睡眠の準備が出来たことを知らせるのです。この際に感じる眠気ほど強烈なものはありません。
例えば、中高生の場合、毎日毎日、朝6時に起きる生活を続けていれば、夜の10~11時頃には強烈な眠気が訪れるのです。
このリズムが出来上がってしまえば、睡眠覚醒のリズムが整ったということです。睡眠障害で睡眠薬で眠れるようになっても、それはごまかしの睡眠に過ぎません。
不眠症が治るとは、どういう意味か?
それは、眠るー目覚めるの一定のリズムが出来上がることです。
「眠れないのなら、眠らせる薬を眠らせる」これでは、不眠症を治療しているとはいえません。
具体的には「眠れないから眠らせる」のではなく、【適切な時刻に起こすことが治療になります】
そして、成人ならその17時間後、中学生なら16時間後、小学生なら14~15時間後に眠くなるようなリズムを作ればいいのです。
大人でも平日に寝不足の人は、週末に朝寝坊をしていることでしょう。
お子さんの中にも、平日は学校があるから、ある程度早起きしているものの、土日は昼前まで寝ている子もいるでしょう。
お母様も、子どもがなかなか起きてこなくても「週末くらいは寝かせておいておきたい」と思ってしまいがちです。
しかし、私たちの体は、毎日、同じ睡眠覚醒リズムを繰り返すことで整ってきます。毎日、同じことを繰り返していると体がそのリズムを覚えてくれるのです。
逆にいうと、私たちの体は「いつもと違うこと」「急な変更」に対応するのが苦手です。体は、おちょくられることに弱いのです。
ですから、週末に昼過ぎまで寝ていて朝ご飯も食べない、ということが起きると、体の中は対応に追われて大わらわとなります。
もし、週末などに朝寝坊をしてしまう場合は、ずれるとしても2時間までに留めましょう。
2時間の時差なら、日本とバンコクの時差に相当します。バンコクから帰ってくるくらいなら、何とか体もリズムを整えることが出来るでしょう。
どうしても、休日にもう少し休みたいという場合は、午前中ではなく午後早めに昼寝をするようにしましょう。
それも、夜の睡眠への影響を考えると長すぎない方がいいでしょう。それでも眠ければ、就寝時刻を早めて下さい。
第97回
もう言うまでもありませんが、昼夜逆転の生活は避けていただきたいと思います。
いくら睡眠時間が8時間とれていたとしても、昼夜逆転であったり、その8時間が22時~6時だったかと思えば、5時~13時というふうに大きく移ろうのは、体にいいわけはありません。
体が、今、起きている時刻なのか寝る時刻なのかわからなくなってしまうからです。
その意味で、交代勤務は体にこたえます。私は夜勤のある看護士さんや、海外を飛び回るキャビンアテンダントの患者さんを診ていますが、こういった職業の方々のリズムを整えるのは大変です。
幸いにも、お子さんの場合は、職業上、夜起きていなければならないわけでありません。
親がある程度、起床時刻をコントロールすることが出来るはずです。何とかリズムを整えていただきたいと思います。
【人間の、というよりも、この惑星の生物全てに言えることですが、体は1日24時間の地球の自転周期に合わせてプログラムされています】
従って、同じ時刻に眠る、同じ時刻に目覚める、同じ時刻に食べるといった生活を送れば、体調が整うように出来ているのです。
こうした生活のリズムの改善で、こころが落ち着いてくるのも期待できるでしょう。
それは、多動性障害であろうが、自閉症スペクトラム障害であろうが、そうでなかろうが同じことです。
不登校の子ども達が、小児科クリニックから紹介されてくる時、紹介状に記されている診断名が「起立性調節障害」のことがあります。
実は「起立性調節障害」も睡眠が深く関わっています。睡眠相後退と呼ばれる現象、早い話が「宵っ張りの朝寝坊」です。
GW明けや夏休み明けなど、長期休みの後に、朝方の腹痛、頭痛、ふらつき、だるさなどの症状を訴え、不登校になる生徒がいます。
こういう場合に小児科にかかると、小児科医達は、朝の体調不良を「起立性調節障害」と診断し、お約束のように血圧を上げる薬が処方されます。
「起立性調節障害」の診断が不適切だとは申しませんが、私からみて本質的な問題が見落とされているように思えます。
【それは、睡眠相の後退です】
「起立性調節障害」の症状は、その全てが自律神経に関わる症状です。
自律神経は、交感神経と副交感神経の2つのバランスによって、朝、目覚める少し前から交感神経が活発になり、血圧や心拍も高くなって日中は活発に活動できます。
夕方から夜にかけては、副交感神経が優意になって、自然に心身共に静かにリラックスし、血圧が低くなり眠りにつくように出来ています。
ところが、この2つのバランスが崩れてしまうと、昼と夜の切り替えがうまくいかなくなります。
つまり、朝になっても交感神経にスイッチが入らず、活動的に動けません。当然、朝、起きられなくなり、日中も集中力が落ち、活発に動けない状態です。
逆に夜になっても、交感神経の下がりが悪いため、リラックス出来ず、なかなか眠りにつくことが出来ません。
こうしてどんどん生活リズムが乱れていくのです。
第98回
なぜ起立性調節障害に自律神経が関わっているかというと、自律神経の活動が、睡眠覚醒リズムの影響下に置かれているからです。
睡眠相が不安定になれば、自律神経の活動も影響され失調状態となります。
夏休み、GW等の長期休暇中に「宵っ張りの朝寝坊」となる。つまり睡眠相が後退すると、体に時差が生じて心身に不調が出てくるというわけです。
【つまり、心身の不調は、睡眠相の後退による時差ぼけが原因です。そしてその不調は午前中に強く出て、夕方から夜にかけて軽くなります】
ですから、朝は起きられず、夕方になると元気になってくることが多いのです。
【小児科の先生方が行っている治療は、睡眠相の後退を考慮していないために逆効果になっている気がします】
小児科に行き、起立性調節障害と診断されれば、例えば、メトリジン(一般名ミドドリン)のような血圧を上げる薬が処方されるだけです。
そこで医師は、こんな風にいうかも知れません。
「あなたは怠けているわけでも、こころが弱いわけではありません。起立性調節障害という自律神経失調症の一種です。ですから、ご家族も頑張って早く起きなさいと促したり、無理に登校を勧めないで下さい。薬を服用しつつ、体調の回復を気長に待ちましょう」
とても優しさに満ち溢れたアドバイスに聞こえます。
【でも、これは治療になっていません。起床時刻を一定にすること、つまり、毎朝、頑張って早く起きて、睡眠相を正常化しない限り、治療にはならないのです】
小・中高生は、睡眠相が後退しやすい一方で、大人に比べて時差ぼけに強いという特徴があります。
ですから、3~4時間程度の時差は、1日で一気に治していいのです。
「朝、無理に起こしてはいけない」と言われますが、極端なやり方で叩き起こすことは良くないかも知れませんが、とにかく「朝、起こす」ことをすべきです。でないと睡眠相は修正されません。
血圧を上げる薬を飲んだら自然に治るというものではありません。
【生活習慣に介入しなければ無理なのです】
子どもの起立性調節障害は、純然たる生活習慣病です。(続く)
子どもの睡眠相の乱れによる自律神経症状は、その他の精神障害、例えばうつ病などと誤解されてしまうケースもあります。
うつ症状と自律神経症状は似ていますし、一概に病状だけを聞いて判断することは難しいでしょう。
先に、睡眠不足があると発達障害の症状が強く出やすくなるとお話ししました。
このことは、全ての精神症状にも共通しています。睡眠相の乱れや睡眠不足などがあると、あらゆる精神症状が出やすくなるとお話ししました。
例えば、自己嫌悪の感情が抑えられずにリストカットをする子どもがいます。こういうお子さんには、先生たちがカウンセリングすることは大切ですが、それと同時に、甚だしい睡眠不足がないかどうかも見ていただきたいと思います。
【なぜかというと、睡眠不足になると、精神的に「打たれ弱く」なるからです】
つまり、睡眠不足の状態で学校に行き、いじめられたりからかわれたりしてストレスがかかると通常以上に落ち込んでしまうのです。
自
傷行為があれば、そこに生活習慣の乱れがないか、睡眠不足がないか、是非、その点も見ていただきたいと思います。
悩みを聞くことも大切ですが、その前に生活習慣に対する指導を是非お願いしたいと思います。
第99回
例えばパニック障害や不安障害です。
電車やエレベーターの中など閉じられた空間なので、突然、理由もなく動悸やめまい、発刊、過呼吸、手足の震えなどが起こってしまう。症状を訴えると、パニック障害、不安障害などと診断されるでしょう。
閉じられた空間で発刊などの症状が出てしまうのは、過度に緊張してしまうからです。
緊張するということは、自律神経のうち、交感神経のアクセルを踏んでいるということ。この時、副交感神経がブレーキをかけてバランスがとれていればいいのですが、パニック障害や不安障害の人は、このブレーキがかからない状態になっています。
車に例えれば、ブレーキが利かず、アクセルを踏みすぎている状態です。こうなってしまうのは、自律神経のバランスが崩れているからです。
では、なぜ、自律神経のバランスが崩れてしまうのか? そう答えは、同じ。睡眠覚醒リズムが崩れているからです。
睡眠不足、短時間睡眠は、パニック発作、不安発作、過呼吸発作を起こしやすくします。
睡眠不足だと、精神的に【打たれ弱い状態になります】。上司の叱責でもすぐにうろたえてしまうのです。そしてその裏には必ず【覚醒睡眠リズムの乱れがあり、短時間睡眠があります】
極論を言えば、病名などどうでもいいのです。
発達障害なのかうつ病なのか、パニック障害なのか不安障害なのかは二の次、三の次です。
生活習慣に介入し、十分な睡眠をとってリズムを整えると、症状が軽減し何れ消失してしまいます。
発達障害の子供たちにとって、こころの健康のためには、十分な睡眠と適度な運動(のもたらす疲労)が必須です、大人になるともう一つ加わります。
【アルコールを飲み過ぎないことです】
何より、アルコールは睡眠の質を悪くします。
睡眠の質がいいか悪いかは、脳波を見ればわかります。お酒を飲むと、同じ7時間睡眠でも、睡眠の深まる時間が少なくなるため、疲労回復効果が減弱するのです。
睡眠は、もし質が良ければ、そのさなかに血圧が下がり、深部体温が下がっています。
そして何より成長ホルモンを初めとした同化ホルモン(タンパク質合成を促すホルモン)も分泌されます。
「寝ている間に、体のメンテナンスが行われているのです」
もし、毎日飲酒している人で、うつ状態にあると自覚している人は、先ず、お酒をやめてみて下さい。
急にやめるのは無理という人は、3合なら2合に、2合飲んでいる人は1合に量を減らしましょう。そして休肝日を1日ずつ増やしていきます。翌日の目覚めや精神状態が違うはずです。
断酒をしただけで、薬を使わずにうつが治ってしまうケースも珍しくありません。もちろん、現在、薬物療法をしている方は、断酒が原則です。
第100回
断酒をしても、どうということはありません、酒をやめて失ったものは何もありませんでした。むしろ得たものの方が大きい。
体調不良の時間帯、体調不良の日というものが減りました。1日が長く使えるようになりました。1週間が有効に使えるようになりました。仕事もはかどるようになりました。
こころとは何なのでしょうか?
精神医学はこころを定義してはいません。1つのあり得る定義としては、こころとはストレス応答系だと考えることも出来るかも知れません。ストレスに対処するシステムがこころだと考えるのです。
【私たち人間は、ストレスを受けずに生きていくことは出来ません。逆に適度なストレスがあるからこそ、それを原動力に反発心が出てきたり、やる気が出たり、生きていく元気が出たりするのではないでしょうか】
適度なストレスを受けて「あゝ、今日も1日大変だったな」と思い、肉体的にも精神的にも疲れを感じます。
その疲れがあるから、その疲労を原動力として眠れるのだともいえます。ですから、日中に一定のストレスを受けることは必要なのです。
【睡眠の質を良くするのは肉体疲労、悪くするのはアルコールです】
「こころの病」という言葉に惑わされず、こころの健康を保つこと。そのためには健康な生活習慣を保つこと、十分に眠って、活発に動いて、アルコールを飲み過ぎないことなのです
女性の場合、黄体期(排卵後、次の生理が来るまでの2週間)に睡眠の質が悪くなる傾向があります。黄体期は一般にイライラしやすいと言われています。
月経前症候群の女性も増えているようですが、、その症状の中に、イライラ、腹痛、頭痛、眠気などがあります。これも又、睡眠の質が落ちているせいなのです。
こうした場合、行うことは非常にシンプルです。それは、いつもよりも30分程度早く就床すること。30分程度、長く眠ること、それだけです。
大人の女性だけでなく、中学生など思春期に入った女子も基本的には同じように考えて下さい。
初潮を迎えると、同じように生理前にいらだちを覚える女子もいるからです。
特に部活に忙しい中学生になると、夕方遅くまで体を激しく動かすことになります。
これでは、副交感神経が優位になり、リラックスに入る筈の時間帯にお祭り騒ぎをしている感じです。
こうして、体内時計が全体に後ろにずれ、睡眠時間がずれ、宵っ張りの朝寝坊となるのです。
女性の体は、妊娠中や黄体期に、不断より長い睡眠を求めるものです。体の求めに素直に従った方がいいというわけです。
第101回
では、発達障害とは障害(病気)なのでしょうか?
私は障害と言うよりは個性と考えた方が正しいと思います。
誰しも自分の個性を持って生きています。それでいいのです。標準的な人間にならなければならない理由はありません。
でも、中高生の思春期の少年、少女たちは、自分の個性に気づくよりも「自分はみんなと違う」ことに、ことさら敏感です。彼ら、彼女たちは自分を変えなければならないというプレッシャーの中で生きているようなところがあります。
これが、思春期を過ぎ、成人して、中年のおじさん、おばさん世代になれば、「自分とはこんなものか」というような一種のあきらめを覚えたり、達観できたりします。
自分は他の人とここが違うということに気づいても、それでいいじゃないか、だから何なのだ、といったいい意味での開き直りが出来るようになります。
でも、思春期はそうはいきません。自分は人と違う、自分は発達障害だということを(障害の名前がどうであれ)ことさらにネガティブにとらえるのです。
最近、著名人が堂々と「発達障害であること」をカミングアウトする傾向にあります。
しかし、本人や家族があえて、カミングアウトする必要はないのではないかと考えています。
例えば、ADHDなら「自分は他の子よりも元気がいい」、自閉症スペクトラム障害なら「自分は凝り性だ」「私はオタクなのだ」と本人が思えば。それでいいのです。
「○○障害」といったネガティブな自己規定をする必要はないと思います。
発達障害をカミングアウトしたところで、何も変わりません。何らかの解決が得られるということもないと思います。
自分の人生を自分で力で、創っていかなければいけないということについては同じなのです。
発達障害が病気なのか、個性なのかという議論は、実は未だに決着がついていません。
偉大な発明家トーマス・エジソンは、今でいうADHD(注意欠如多動性障害)とされています。
ただ、大切なのは、発達障害という言葉もない時代、エジソンの母親は、息子を精神科へ連れて行くこともなく(もちろん当時は精神科医もいなかったでしょうが)おっちょこちょいで、学校には不適応だった我が子に愛情深く接したことでしょう。
そして息子のいいところを伸ばそうと、学校に頼ることなく、一生懸命に教育したのです。
今の時代に彼が生きていたら、そして精神科にかかっていたら、多動性障害の診断がついて薬を処方されたでしょう。
色々なことを試したくて仕方なかった少年が、ひどく大人しくてお行儀のいい子に、作り替えられてしまったかも知れません。そうすることが、彼の才能を十全に生かすことになっていたのか、私は疑問に感じます。
エジソンもそうですが、発達障害といわれる人の中には、いききとした好奇心と溌剌とした行動力を持っている人が多いものです。それで好きなことを追及していって、その結果、人生を素晴らしいものにした人もたくさんいるのです。
第102回
精神科医の仕事は人の話を聴くことです。私が患者さんの話を聴くことが出来ているのは、同時にカルテを書いているからです。
キーボードを打ち込んだり、万年筆で書いて、自分でリズムを刻みながら、患者さんの言葉を音楽を聴くように聴いています。手を動かすリズムを通して集中力を高めて患者さんの言葉を聴こうとしているのです。
私にとって、せかせかしているのは仕事のリズムを作る上でも必要なことです。これを「多動性障害の症状でしょ。治すべきだ」といわれても「大きなお世話だ」としかいいようがありません。
そう考えると、【発達障害は「才能」とは言わないまでも、少なくとも病気ではなく「個性」だと言えるのではないでしょうか?】
個性という言葉がわかりにくければ、「ユニークだ」と考えてみてはどうでしょうか?
要は、発達障害などその程度に過ぎないのです。ビョーキだビョーキだと騒ぐほどのことでは決してありません。
発達障害にも関わらず、否、むしろ、それ故にこそ、自分の個性を生かして活躍している人がいます。
ゲーテの「才能を授かり、才能に生まれついた者は、この才能に生きることが最も美しい生き方だ」という言葉がぴったり当てはまります。
私は、【薬は発達障害に必要ない】と痛感します。
むしろ、「どうか、決して薬などを飲まないで下さい。あなたの繊細な感性を薬なんかで汚さないで下さい」とつくづく思います。
薬は唾液の分泌を抑えますから、間接的に味覚、臭覚に影響を与える可能性があります。
厚労省の「薬物味覚障害」をめぐる資料では、原因となる薬剤として抗うつ薬を挙げています。
私は、外科医、画家、漫画家、イラストレーター、陶芸家など、手の繊細な動きで勝負する人に対しては、原則として薬剤は使わない、もしくは最小限に留めます。手が震えては仕事になりません。
治療の名の下に職業人としての可能性を断ち切ってしまっては本末転倒です。
【診断名はどうでもいいのです】
すべきことはただ一つ。【自分の人生を生きるということです】他の誰の人生でもない。自分の人生を生きなければなりません。
生きなければいけない。しかし、自分は人と違う。ではどうするか?そう考えるところから全てが始まります。
人と違う自分を強引に人とおなじにしなくてもいいし、そうすべきでもありません。
こころの奥底の自分を変えなくても、表面的に他者と和していくことは出来ます。
そうやって、内と外とを使い分けることこそ、大人になっていくという意味なのです。
第103回
発達障害の子供たちが、学校や家庭で何らかの困難を抱えていることは確かです。
その困難について、具体的にどう対処すべきか一緒に考えているうちに、○○障害や○○症候群の診断名についての関心は、どこかに行ってしまいます。
病名とは全く関係ないところに、人間としての価値があるのです。
発達障害であることが恥ずべきことなのか、あえてカミングアウトすべきことなのか、そんなことを議論する意味もないと思います。
そもそも、人間は誰だって恥ずかしいことを抱えながら生きているからです。
子どもに限らず、大人になってもそうそう変わりはしません。経験を積んだ分、若いときほど、愚かなことはしないにせよ、人生そのものが生き恥をさらすことの連続です。
でも、内心、そういった自己嫌悪にまみれながらも、やせ我慢して顔では分別のある大人のふりをしている。
それが生きていくということの意味ではないでしょうか。
発達障害といわれる子どもに対して、親はどんなことが出来るのでしょうか?
発達障害一般を理解しようとしても仕方がありません。むしろ、理解すべきは、発達障害一般の問題が、あなたのお子さんの、具体的な場面で、どのように弱点として露呈するかです。
一番、困る場面は対人関係でしょう。発達障害の子どもは、総じて人の思惑を察すること、場の空気を読んでいくことが苦手です。
一方で、とてもいいところをあります。知的なテーマについて深く追究することです。
ですから、彼や彼女を手助けする基本は、その子のいいところ、得意なところ、苦手なところを読み取ることです。
そして、その欠点を最小化し、いいところを最大化する方法を一緒に考えればいいのです。
ユニークなところを尊重することで、自尊心を維持することが出来ます。得意なことを積極的に行わせることで、自信を深めることも出来ます。
その子のいいところを伸ばすためには、そもそも、いいところを見つけてあげなければいけません。そのためには様々なことをやらせ、多くの出会いをさせることが大切です。それは、発達障害ではない一般のお子さんにとっても同じことです。
色々なことを体験する中で、その子に合ったもの、好きなもの、やりたいと思えるものが見つかれば、それを思う存分にさせてあげましょう。
第104回
多動性障害の子供たちに対しては、その多動性を表現させることが有効です。子どもの元気の良さを建設的に解消するのです。
逆説的な言い方になりますが、多動性障害への裁量の解決法は「多動には多動を」です。
多動性障害の子どもが、精神科にかかれば、多動性を鎮める薬が処方されてしまいます。
【しかし、それは何の解決にもならない。治療にもなりません。ただ個性を殺しているだけです】
それよりも、多動を思いっきり発揮させて、めいっぱい動いて、力尽きて眠るというワイルドな生活を送らせてあげればいいのです。
多動性障害の子というのは、いわば「こころはいつも16ビート」の世界を生きています。いつも体の中で激しいリズムを刻んでいるような活発な動きを求めているのです。
でも、「いつも落ち着かない」ので、先生は困り果てている、親からは怒られている。いつもエネルギーが不完全燃焼の状態です。
お母様、お父様としては、その多動性を吸収できるものが身近にないかどうか一生懸命、探してみて下さい。
吸収できるものなら、絵、料理、楽器、コンピュータ、裁縫、模型作り、そろばん、ダンス、スポーツ、何でもいいのです。
発達障害の子は、得てして、頭で考えすぎるところがあります。でも人間もホモ・サピエンスという霊長類、一種の動物です。
考えるだけでは健康的な生活は言えません。活動と休息の野性的な反復があってこそ、こころと体の健康につながります。
多動というものは、可能性を秘めています。うまく生かせば、素晴らしい生産的な人生につながるはずです。
発達障害の子どもは、対人場面で自然に振る舞うことが苦手です。多くの子どもが、対人場面で困難を抱えています。
それが顕著に出てくるのは、修学旅行、体育祭、文化祭などの学校行事の時、さらには、クラス替えなどの今までとは異なることが起きる場合です。
これまでの行動パターンが通用しない場面は発達障害の子どもを不安にさせます。
大人たちが的確にアドバイスするためには、普段からその子がどんな状況でパニックになりやすいのか、どんな対人関係だと不安に陥りやすいのか、逆に、どんな状況ならゆとりを持って対応できるのかを知り、ある程度、事前に分析しておくことが必要です。
余り、何度も振り替えさせるとこころの傷になってしまうこともありますが、少し時間が経って落ち着いたら振り替えさせることをさせて、同じ失敗をしないように対応などを考えさせればいいでしょう。
多少、リスクはありますが、「先週はこんな失敗をしてしまったから、来週は気をつけようね。次はこんなふうにやってみようよ」 ご家族も、こんな言い方で理解させることが出来ればいいと思います。
第105回
発達障害、特に自閉症スペクトラム障害、アスペルガー症候群といわれている多くのお子さんは、感覚刺激に対する反応がちょっと異質です。
感覚刺激が激しい感情を引き起こし、、普通の子供たちならば気にしないようなことで敏感になったり、イライラしたり、パニックに陥ってしまうのです。
彼や彼女は、ある種の「行動パターン」を持っています。それを繰り返し行うことを日課にしているところがあるのです。
行動パターンをルーティン化することで、余計なことを考えないようにしているのです。
逆に、そのルーティンが突発的な出来事で崩されたときや、何かの理由で妨げられたとき、平和な日常が突然破られたかのような驚愕を感じて、パニックを起こすことがあります。
物事の優先順位をつけるのが苦手であるため、こだわる必要のないところにこだわってしまうのです。
自閉症スペクトラム障害の場合、興味や関心の範囲が狭くかつ偏っています。
興味・関心のあることにのめり込んでその能力がいい方向で発揮できるならいいのですが、凝り性で実験的の性格が、時に愚かな犯罪に結びついてしまったり、性的な関心が逸脱行動に結びつくことがあります。
ただ発達障害であるだけならば、ちょっと個性的な子で済むのですが、時にその興味関心が思いもよらぬ対象に向かうことがあります。人の思惑を察することが苦手なために、それが反社会的な行動と結びつくことがあります。
その上、自閉症スペクトラム障害の人たちは、想像と現実の区別をすることが苦手です。
それで、「これをしてみたらどうなるんだろうか」「やってみよう」と思ってしまうと、その結果、どんな事態が発生するか予想することが出来ないのです。
又、知的関心を通して知り合う人、興味深い話をいてくれる人に対して警戒心なく近づいてしまう傾向もあります。最近知り合った人が、危険な人間でないか、まわりはそれとなく気をつけてあげなければなりません。
ただでさえ、発達障害の子どもは、このままでは落とし穴に落居いるかも知れないと言うことを察知することが難しいのです。
大人と違って、起こり得る最悪の事態を想像できないため、大人が先回りをする必要がある場合も少なくありません。
第106回
発達障害の子は「この場で、そんな話題を持ち出さなくてもいいのに」と思うようなことを併記で言ってしまったり、「慎重になるべき時に、どうしてそんな軽率な行動をとってしまうのか」ということをしでかしたりする。やはり、危機察知力が低いのです。
学校行事やクラス替えなど、いつもと違うことがありそうな時に、事前に起きそうなことを想像させてあげる必要があります。
つまり、こころの中でリハーサルをするのです。
大人でも、明日、重要な打ち合わせやプレゼンがある時、こころの中で明日の様子を思い描いて、どうやって話そうか考えるでしょう。
起こり得る可能性を事前に想定して、子どもにとって「想定外」のことが少なくなるようにします。
例えば、遠足があれば「いつもと登校時間が違うから、時間についてはちゃんとメモに書いて準備しておこう」とか、学習発表会があれば、「発表した時に、こんなことを言われるかも知れない。こんな意見も出るかも知れない。でもその挑発に乗らないでこういうふうに答えましょう」といったようなことを、1人ひとりの状況に応じてアドバイスをするのです。
全ての人に共通して言えることですが、失敗して恥をかくことはあります。失敗の経験をすることはあります。
しかし、それを振り返って、少しずつ自分の行動を修正していく過程が、成長していくということでしょう。
失敗するとは、うまくいかない方法を1つ学習するということでもあるのです。
結局は、1人ひとりが、人生の中でどれだけ経験を積むかです。どんなに優れた訓練法があったにせよ、経験を通して学んでいく以上の方法はありません。
自分の個性を大切にしながら、周囲と調和していくーこれが出来るようになるには、10年20年かかると思ってもいいですし、あるいは一生涯にわたって、この不全感に苦しみながら生きることにアンルカも知れません。
発達障害であろうがなかろうが、全ての人が自分という個性と長くつきあうことになります。誰も自分という個性から逃れることは出来ません。
だから、自分の個性を理解して、自分の大切な部分は守りながら、その一方で周囲と折り合いをつけて生きていく、これが人生の中長期的な目標になるのです。