精神医療を考える(Ⅱ)
第23回
国連の勧告に象徴されるように、発達障害の中でも特に薬物治療に結びつきやすい「ADHD」(注意欠陥・多動性障害)に関し、過剰診断や過剰投薬について警戒するようになっているのが国際的な潮流で、公的機関も研究機関も製薬会社との距離に神経を尖らせるようになっている。そんな中、【日本では無節操に製薬会社と結託する自治体が次々と現れているのである】。
2018年2月14日に滋賀県、同年3月7日に香川県さぬき市、東かがわ市、同年3月16日に広島県が、大阪府と同様の連携協定を結んでいる。
【表向きは製薬会社による社会貢献事業と見なされるが、内実はADHD薬の販売開始というタイミングでこの事業を展開しているわけで、そこに下心があることは容易に想像できる】。
「営利の追求」が企業の目標である限り、その手段や動機は別にして、営利企業としては正しいかもしれない。
【問題は各自治体の認識にある】。
著者は、その全ての自治体に公開質問状を提出したが、不思議なことに、回答は全て基本的に同じ内容となっており、塩野義製薬の作文が各自治体に提供されたのではと思われる。
例えば、大阪府は「子どもの未来支援」において、金銭的には全く負担をせず、製薬会社が全額を出しているのである。
その代わり、大阪府は、権威やお上のお墨付きという信頼性を塩野義製薬に提供する。塩野義製薬にとっては、大阪府は、この上なく効果的で安い広告塔なのである。
【製薬マネーで進められる発達障害者支援】というのが事業連携協定の正体である】。
自治体の負担は「0」であることを、自治体自らが巧妙に隠す。
それは【ステルスマーケティング】(消費者に宣伝と気づかれないように宣伝行為をすること。略してステマ)そのものである。
【関連自治体は、ステマに荷担しているという自覚もなく、過剰診断の問題を考慮することもなく、発達障害者支援事業を推進しているのである。大阪府に到っては、過剰診断を考慮するどころか関係ないとまで言い切っているのである】
第24回
現在、塩野義製薬が厚労省に申請中のADHD薬「リスデキサンフェタミンメシル酸塩」は、まさに「覚せい剤」なのである。
既にこの新薬は海外では販売され、日本でも個人輸入が認められていたが、2018年2月28日に、厚労省は同成分をようやく「覚せい剤原料」に指定し、個人輸入も禁止された。
薬を承認する厚労省内の部署(審査管理課)と、実際に薬に規制をかける(監視指導・麻薬対策課)が縦割りで、外部から指摘されるまで気づくに時間を要したことによる。
【法律上は、覚せい剤原料であっても、覚せい剤そのものであっても、医薬品であれば医師は処方でき、患者はそれを所持できるのである】。
【但し、本当に薬が必要な患者にのみ処方されるのかが問題。繰り返すが、ADHDを正確に見分ける診断技術は今のところないのである。もしも、承認された場合、本来、覚せい剤など不要な子どもたちにも過って処方されてしまうリスクがある】。
【この薬が乱用されないか?実は、されない筈はないのである。】
子どもの医療費が無料である自治体が多いので、保険診療や福祉制度が違法売買に悪用される事例も出てくるだろう。
ADHD薬は、最初は子供用の薬として承認されたが、そのうち「大人のADHD」用に追加承認されることになるので、今から対策を講じておかないと大きな社会問題にになる可能性がある。
皮肉なことに「ダメ、ゼッタイ」などと、覚せい剤の乱用防止を呼びかけている自治体が、子どもたちをその危険に晒すような政策を推進しているのである。
【子どもたちの未来を守るためには、行政機関による啓発が不可欠であるが、「早期発見至上主義」に基づいた一方的な啓発ではなく、そのリスクについて正しく啓発し、その被害を未然に防ぐことこそが、「子どもの未来支援」と呼ぶにふさわしい】
第25回
2018年5月15日、塩野義製薬は愛知県と「愛知県の薬物乱用防止協力に関する協定」を締結した。自治体が薬物乱用防止で協力を結んだ初めてのケースであった。
この協定には、現在、承認待ちのADHD薬「リスデキサンフェタミンメシル酸塩」を意識しているの間違いない。
その承認を得る前に、厚労省によって「覚せい剤原料」に指定されてしまったので、【覚せい剤の乱用はだめだが、医薬品としての覚せい剤は必要】というイメージを作り出したのでしょうか?
もしかすると「乱用防止や流通管理をしっかりやっています」というためのアピールとも思われる。
【実は精神科で処方される薬は、まさに乱用される恐れがあるのです】。
薬物乱用とは、薬を処方された患者側だけの問題のようにされているが、【精神科医による乱処方こそが問題の根源なのである】。
【薬が必要ない人に薬を処方すること。根拠のない多剤大量処方をすること。医薬品添付文書を無視した投薬をすることーこれらは、精神医療の現場ではごく普通に見られる光景になっている】。
それは、【医師の処方権を乱用した薬物乱用】と言い換えても良い。
精神科医による乱処方によって多くの患者は処方薬依存となり、過量服薬や薬の横流しはその結果に過ぎない(児玉クリニックの院長自ら、薬物をやくざに横流したことが発覚し院長一家が心中を引き起こした事件もある)。
患者が過量服薬して、救急車で運ばれるというのは日常茶飯事であり、救急救命の現場を圧迫している。
実は、精神科医のことは「合法的なヤクの売人」「白衣を着た売人」と他科の医療関係者からは軽蔑されているのである。
第26回
2018年5月22日、岩手県は塩野義製薬と「子どもの未来支援に関わる連携・協力に関する協定」を結んだ。同年、9月と10月に開催された「いわて特別支援教育講演会」の主催は「岩手県教育委員会」で、共催はもちろん塩野義製薬であった。
【既に、教育という聖域が、精神医療産業に侵されているのである】。
この連携協定は、岩手県知事の判断で決定されたが、知事達増拓也氏は、2011年の東日本大震災後の3月30日に、全職員に次のようにメッセージを送っている。
「なかなか寝つけない状態が続くときは、どんどん医師に見てもらい、精神安定剤とか睡眠誘導剤を躊躇なく服用すべきです」。
さらに、同年7月6日の県議会でも「県では、例えば自殺対策などでも、お医者さんにかっかかること。又医師の処方のもとで様々な薬を飲むことについては、躊躇しないように指導しているところであり、そういう医師にかかることや薬を飲むことが何かおかしいことのように誤解されるようなことがあってはならない」と発言している。
【専門家は常に正しい、専門家が出す薬に間違いはないという、こうした姿勢こそが無数の被害を出してきたのだ】く)。
【補足】
全国自死遺族連合会の遺族への聞き取り調査によれば、2010年4月~2013年2月までの自死者1001人のうち、【9割以上が精神科を受診していたのであり】、自死は、明らかに向精神薬の副作用によるものと思われる。
【実は、16年連続で年間の自殺者が3万人を超えている国は、世界中でこの日本だけで、その7割が向精神薬を服用していた】。
【コロナ禍で、昨年の8月以降、自殺が急増しているが、特に女性の自殺が増えている。失業や収入減で夫のDV被害にあう女性によるものが多いと報道されたが、直接的には向精神薬による自殺の可能性も十分ある】。
岩手県や宮城県、福島県などの被災地で、PTSD(心的外傷後・ストレス症候群)や不安、不眠を訴える人たちに、一体、どれほどの向精神薬が処方され、どれだけその犠牲者になってしまったのか、検証するする必要があると思う。
第27回
現在、精神医療産業は、明らかに子どもをマーケティングの対象にしている。
2007年に承認されたコンサータ(ADHD)、2009年のストラテラ(ADHD)、2016年のリスパダール(小児期の自閉症スペクトラム症)・エビリファイ(同)、2017年インチュニブ(ADHD)・ルボックス及びデプロメール(強迫性障害)が、それぞれ承認されている。
塩野義製薬の「子どものうつ、jp」治験サイトには、次のようなメッセージが掲げられている。
【ご存じでしたか? 子どもにも、うつがあることを】
2013年3月29日、厚労省は、18才未満の患者に対する抗うつ薬投与に関して注意喚起し「有効性が確認できなかった」とサインバルタ(抗うつ薬)の添付文書の改訂を行ったが、この薬を含む抗うつ薬一般の添付文書には【24歳以下の患者で自殺念慮、自殺企図のリスクが増加する】と改訂以前から明記されている。
学会も、子どものうつ市場を拡大する動きに呼応している。
2018年7月に、日本うつ病学会総会が都内で開催されたが、【3歳児でもうつ病】という表題で、ハーバード大学医学部精神科助教である日本人の精神科医内田舞氏が講演を行い、施薬会社と一緒に行った共催セミナーでも「米国における子どものうつ病の診断と治療」という表題が掲げられていた。
ちなみに「ハーバード大学医学部精神科」といえば、(前回、紹介した)小児でも双極性障害になるとして、わずか1歳や2歳児にまでその診断と投薬をしレベッカ・ライリーちゃん事件を引き起こしたビーダーマン博士が在籍していた。
【子どものうつの早期診断、早期治療を日本にも広げる強い意図が見られる】。
発達障害で処方されるストラテラやエビリファイ、リスパダールの添付文書には、「5・6歳児未満の幼児に対する安全性は確立していない」と書かれているが、厚労省の調査では、「0~4歳児に安全が分からないまま、その薬が処方されているのである」。【まるで主治医による人体実験といってもいい】。
又、【通院精神療法では、0~4歳児に対して、抗精神病薬か抗うつ薬、抗不安薬、睡眠薬のいずれか同種類の薬が3種類以上、処方されているのである】(続く)。
第28回
向精神薬とは、広義では主に精神科で使われている中枢神経に作用して精神機能を変容させる薬物を指し、狭義では、「麻薬・向精神薬取締法」によって指定された薬物を指し、第一種~第三種に分類され、これらを勝手に譲渡したり売買すると罰せられる。
ADHD用のコンサータは、第一種向精神薬で、その管理や流通に強い規制が欠けられている。
又、睡眠薬や抗不安薬(精神安定剤)は、その併用処方が多く、狭義の向精神薬である。
ADHD用のストラテラやインチュニブ、自閉症スペクトラム用のリスパダールやエビリファイは狭義の向精神薬ではないが、何れも【劇薬の指定】を受け、【命に関わる重篤な副作用の危険性がある】。
現実に本当のインフォームド・コンセントが、児童精神科の現場で十分なされているとはとうてい考えられない。本人・保護者も薬の副作用について殆ど説明を受けていない事例が多いのである。
薬は肝臓や消化管粘膜、肺、腎臓などで分解され無毒化(代謝)される。その中でも特に大きな働きをするのが肝臓で、何種類もの代謝酵素を分泌して薬を無毒化しようとする。そのような人体の代謝作用を乗り越えた薬の成分が、血液中で一定の濃度を保ち(血中濃度)、期待された働きをするように用量が決められているのである。
ところが、多剤処方となると、Aという薬の代謝に使われる肝臓の代謝酵素が、Bという薬が入り込むことによって、その働きが弱められ、Aの血中濃度が予想以上に高くなる。薬の添付文書には、薬の「併用禁忌」「併用注意」が明示され、薬の併用に警告や注意が記されているが、【三剤以上ともなると、何が起きるのか、十分に確かめられていないのである】。
そもそも向精神薬は、単剤処方が原則だが、日本は諸外国に比較してみても異常に高い多剤併用率を示している。
恐ろしいことに、脳に直接作用する向精神薬は、成長過程にある子どもの脳にどんな影響を与えるのか本当は分かっていないのであり、【それはリアルタイムの人体実験と表現しても決して過言ではない】
第29回
一般の人々は薬に対する過度な幻想を抱きがちである。「薬は病気を治してくれるもの」という認識が広がっている。
大半の薬は、対処療法的に、症状を緩和するだけ。【特に向精神薬は全てそう】
それにも関わらず、あたかも抗生物質が細菌を殺してくれるかのようなイメージで、処方された向精神薬が精神病や発達障害の原因を根本的に処理してくれるものだと信じ込み、主治医に言われるまま、何十年も飲み続ける人が実際にいる。
患者のみに落ち度があるのではない。患者に誤解させるような精神科医や報道が問題なのである。
うつ病バブル全盛期には「薬を飲めば、必ずうつ病は治る」と精神科医は堂々と嘘をつき、それが安易に報道されてきた。
「双極性障害Ⅱ型」と診断された私は、「この病気は一生治らない」「だから、薬を一生飲み続けなければならない」と次々と変わった10人ほどの主治医に言われ続けてきたー
さすがに最近は、「治す」というストレートな宣伝はせず、それよりも「病気とつきあう」といった表現で薬を飲み続けさせることを意図した宣伝が目立っている。
「国が安全性を確かめて承認した薬を、専門家であるお医者様がお出ししているのだから、まさか、そんな悪いことにはならないだろう」と信じ込んでいる人が一般的であろう。
実際のところは、薬そのものの問題もあるが、薬の使われ方の問題の方がはるかに大きい。本当のインフォームド・コンセントがなされていたら、薬理学の基本すら無視するようなデタラメな投薬が蔓延していなければ、ここまで被害が拡大するはずがない。
【多動の子にADHD薬を服用させて大人しくさせるのは、本人のためというよりも周囲のためである。人手が足りない等という理由で、精神科病院や知的障害者施設、児童養護施設、高齢者施設において、本来、適応のない抗精神病薬を服用させて患者や利用者を鎮静化し、管理しやすくさせるのは、完全に病院や施設側の都合なのである】
利益が本人ではなく、周囲のためとなった場合、本人は嫌々ながら服用させられるという状況が生まれるー「服薬の強制」。
精神科では服薬の強制は日常茶飯事である。入院中、看護師に無理やり口をこじ開けられて強制的に薬を飲ませられた。薬を飲まないと強制入院させると主治医に脅かされて渋々服薬した。服薬を拒否したら、向精神薬を強制的に注射でうたれた等々。
(私の知人で、「薬は飲みたくない」と主治医に行ったところ、「もう病院に来なくていい」と言われたケースもある。岩手県の被災地の仮設住宅での話)
【強制服薬には法的な根拠はない】
「精神保健福祉法」によると、精神保健指定医には、本人の意に反して強制的に入院させたり、身体拘束をしたり、隔離したりする権限が認められているが、服薬に関しては明記されていない。
【厚労省精神・障害保健課に確認したところ、服薬の強制は出来ない】との回答があった。
薬を飲むか、飲まないかの決定権は本人にあり、本人の意思が確認できない場合や、緊急事態ならともかく、【本人が明確に拒否を示している場合は、医師であっても強制は出来ないのである】
服薬の強制は、精神医療現場のみならず、教育現場にも広がっている。
【義務教育にも関わらず、担任や校長が平気で、「薬を飲まないと登校させられません」「薬をちゃんと飲まないなら受け入れません」と、児童生徒の投稿を制限したり服薬を強制したりしている】。
【医師にすら服薬を強制する権限がないのですから、当然、彼らにもそのような権限はない。このような実態は、保育の現場でも見られる】
【本来、発達障害支援で進めるべき政策とは、特性を持った子どもたちに対して、十分に余裕を持って対応できるように教育や保育の質を高めていくことですが、それが追いついていないしわ寄せとして、このような服薬の強制が起きている】
第30回
2014年より効力が発生した「障害者の権利に関する条約」第24条には、障害者に対する教育の権利が示され、その実現に向けて以下の項目を確保することが求められている。
(a)障害者が障害に基づいて、一般的な教育制度から排除されないこと及び障害のある児童が障害に基づいて無償の、かつ義務的な初等教育から、又は中等教育から排除されないこと。
(略)
(c)個人に必要とされる合理的な配慮が提供されること。
これらは、障害のある人と障害のない人が共に学ぶというインクルーシブ教育の理念を示す。
改正された「障害者支援法」第16条には、このことについて以下のように記されている。
「国及び地方公共団体は、障害者がその年齢及び能力に応じて、かつその特性を踏まえ十分な教育が受けられるようにする為、可能な限り、障害者である児童及び生徒が、障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮しつつ、教育の内容及び方法の改善充実を図る等、必要な施策を講じなければならない」。
しかし、現在の特別支援教育は、むしろ【イングルーシブ教育とは対照的に障害者を分離し排除するという側面がある】
【それは、文科省の姿勢に大きな原因がある】
特別支援学校や特別支援学級を「一般的な教育制度」の範囲内である詭弁的な解釈をすることで、それらをインクルーシブ教育とみなしているのである。
【本来のイングルーシブ教育とは、障害に関係なく、皆、同じ場で共に学ぶという前提があり、その上でここに有する困難な状況を解決する為に「合理的な配慮」がなされ、環境調整されるもの】【障害児を早期発見することで、最初から分離し、特別支援学校(学級)に送り込むことは、まさにその精神に反することであり、それが特別な教育支援を受けられるという合理的な配慮にすり替えられてしまった】
確かに勉強について行けない子を、無理やり普通級に入れ、強引にカリキュラムをこなせるよう勉強させたとしても、本人にも周囲にも不幸なことになる。
【しかし、だからその子を支援級に排除する、という対応ではなく、どうやったらその子が普通級で学べるようになるのかを考慮し、それを実現する方向に持って行くのがイングルーシブ教育のはず】
インクルーシブ教育の本質や目的が本当に理解されていない場合、【教師が自分の手に負えない児童、生徒を体よく排除することに対して都合良く解釈し正当化できるようになってしまう。実際は自分のためなのに、その子のためだと言い張ることが出来るのである。 又、そのように思い込むこともできてしまう】
【薬のデメリットも全く理解しないまま、発達障害診断の曖昧さや危険性を理解しないまま、薬を飲むことは本人のためだと平気で言えるようになってしまう】。
最近、目立つようになったのは、学校から受診を勧められた子どもや若者のケースである。恐らく、よかれと思って受診を勧めたのだろうが、まさか、つないだ先の精神科の専門家によって被害に遭うなどと考えもしなかったのだろう(それにしても、教師や保育士自ら、発達障害に関する勉強をして欲しい)
以下、幾つか、その被害の実例を掲げる。
A. 小学5年生。4歳の頃、保育園から多動を抑える薬を勧められ服用。クリニックより処方されるリスパダールとコンサータを7年間服薬。小学校では担任から【毎日、薬をむようチェックされ、友達とトラブルがあると、飲ませてくれるように念を押される】。副作用で食欲が減退し、激やせに。発育も遅れ、今では背の順でも一番前。
B. 小学3年生。1年生の頃から発達障害の薬を服用。同年齢に較べ発育も発達も遅れ小さい。学校の先生から【パニックになると周りのお友達が怖がるから薬を飲ませるように言われている】
C. 小学3年生。小学1年生後半からADHD薬を服薬。【飲み忘れた日は、学校の担任から電話があり、すぐに届けに行く状態】薬は良くないと分かっても、飲まない場合のケアや対処法、合理的な配慮を一緒に考えてくれる専門家がいないと、現実的にその選択肢は難しい。
D. 小学1年生。病院で「自閉症は治らないよ。このままだと将来、傷害事件を起こすよ」と言われ、どうすればいいのかは一切教えてくれず薬を出された。薬についての説明も副作用があることの説明もなし。学校も服薬については肯定的。
E. 小学 2年生。特別支援員の先生から、【集中して授業を受けられるとてもいい薬があるから、子どもが学校で勉強に集中できるようになるためにも薬を飲んだ方がいい】と勧められた】
F. 小学6年生。幼稚園の時、発達クリニック院長に発達障害と診断され服薬。元気ない、食べない、動かないなど明らかな副作用が出てきたので、母が「薬を減らしたい」と言うと医師の態度が急変し激怒。【薬を止めてこの子が問題行動や事件を起こせば、うちの責任になるじゃないか。飲ませ続けないとダメだよ】と脅迫に近い言い方。この医師は発達支援センター長を勤めた医師でもあるが、「減薬したい」というと不機嫌になり「もう来なくていい。他の病院に行けばいい」など冷たい態度をとる。
【多くの親は医者に見放されたらおしまいだと思い、医師の言うとおりに子どもに服薬をさせている】
G. 小学5年生。小学3年生の時から不登校気味になる。【学校でパニックになると困るので修学旅行には連れて行けない】と言われ薬の服用を提案された。
H. 小学6年生。教師による理不尽な対応から不登校となったにも関わらず、【不登校という理由で病院を勧められた】
【学校の不適切な対応や友達からのいじめ、配慮のなさや発達特性への無理解自体が問題であり、それらは決して子どもの問題ではない】
第31回
今や、一部の教師は、教育のプロではなく、教育分野にも侵食してきた精神医学の専門家によって操られているロボットのようなもの。そこには、プロフェッショナルとしてのプライドや責任は見られない。
誰もよく分かっていない「発達障害」の概念に振り回され、科学的根拠に乏しいチェックリストを盲進し、自分の目で観察した事実よりも、子どものことなど何も分かっていない専門家の意見を正しいものとして採用してしまうことで、どんどん高潔さや正直さが失われている。
教師がイングルーシブ教育の本質や、合理的な配慮という言葉の意味を本当に理解していたら、いろいろなことをすっ飛ばして安易に薬を勧めるということはあり得ないこと。
しかし、残念なことに【薬を飲ませて、大人しくさせて授業を受けやすくしてあげることが『合理的な配慮』だなどと曲解する教師もいる】
教師はそもそも、どこから発達障害に関する知識を学んでいるのだろう?
免許更新の際の講習などで、専門家とされる児童精神科医などからの講義で、発達障害に使われている向精神薬について、「良い薬」「集中できるようになる」「安全な薬」「これを飲むことで怒られなくなるから本人のためになる」という説明を繰り返される。
公的な研修で専門家から聞いた言葉なので、なんの疑いもなく「良い薬」と保護者に勧めてしまうのも無理はない。
しかし、薬物治療についてメリットのみが過度の強調され、副作用などのデメリットが正しく伝えられないような受け手が誤解するような講義内容になっていないか監視する必要がある。
当然ながら、この種の研修は早期発見至上主義の養成の場であるため、過剰診断の問題についても正しく教師に理解させる内容にするよう関係者に働きかけていく必要がある(続く)
日本との決定的な違いは、アメリカ、イギリス、フィンランドとも、インクルーシブで自然の環境の中での重視されている点であり、先ず、前提が違うのである。
【支援にあたって発達障害の診断が必ずしも重視されるわけではなく、支援が必要な子どもに支援がなされ、多職種専門家が支援を行っている】
日本の場合は、【特別支援学校や支援級へと分離するための「早期発見」となっており、やり方によっては差別、排除となりかねない危険性を孕んでいる。その上、診断が絶対視される傾向にあり、専門家との関わりにおいて医師、医療の比重が極端に大きい。発達支援の専門家や特別支援教育の専門家が関わっても、医師の意見が意見が優先されてしまう現状がある】
適切な支援体制が整っていない中、【チェックリストだけが広がっているのが日本の状況】
関係者に目的や理念が理解されていない状況で、チェックリストを形式的に用いた早期発見が行われたら何がおきるでしょうか?
【本来、適切な支援を受けられる筈だった子どもたちが、まるで異物の排除のような扱いを受けるでしょう。まるで、冤罪被害者のように、たいした問題もなかった子どもたちが、不幸に障害者として扱われ、不必要な治療を受け様々な健康被害や差別を受けるでしょう】
【重要なのは、根拠のない精神医学的診断やチェックリストに振り回されないこと。支援が必要な人がいるのは事実ですが、そこに精神医学的レッテルは不要】
【診断がなければ支援が受けられないシステムではなく、個々に支援が必要な状況に応じて合理的な配慮がなされる体制が必要】
そのような支援のための、精神医学的なレッテルを貼らない早期発見であれば歓迎するが、現時点で、そのような状況ではない以上、【早期発見至上主義】を徹底的に批判し続けます。
第32回
一体、「過剰診断」と「過小診断」のどちらが罪深いのか?
井上勝夫(北里大学医学部精神科学地域児童精神科医療学)は『精神神経学雑誌』の中で以下のように述べている。
「自分が過剰診断や診断見逃しを犯していないかを考慮することなしに、拙速にASD(自閉症スペクトラム)を診断することが最も罪が重い」
発達障害支援の専門家(推進派の一人)ですら、その診断に慎重であるべきであると述べているのだ。
又、発達障害の権威である榊原洋一氏(お茶の水大学名誉教授)は、ブログ「何か変だよ。日本の発達障害の医療(後編)過剰診断・治療」(2018年4月13日)、以下のように記している。
【自閉症スペクトラムという診断を受けた多数のお子さんが、私の外来に来られます(略)実は、その半数近くのお子さんが自閉症スペクトラムとは、どうしても考えられないのです(略)。
子どもの行動の一部、あるいはチェックリストだけで診断を受け、私が自閉症スペクトラムとは見なせないと判断した子どもは、念のためにその後の経過を確認していますが、その後、全く問題なく幼稚園や普通学級に通っている子どもが殆どなのです。
自閉症スペクトラムなどの発達障害と診断がつくと、インクルーシブではなくエクスクルーシブに特別支援に行くことになります。
いったん、特別支援学校(学級)に行くと、普通学級に戻ることは難しいこと。つまり、その子どもの人生の生き方まで変えてしまう危険性があると思うと身震いがしてしまいます】(続く)
前述の榊原洋一氏(お茶の水大学名誉教授)のブログの中で以下のような記述がある。
「発達障害を専門とするある医院の問診票を見て、目を疑うような診断治療内容があった。それも1回きりではなく、何人もの子どもが、ほぼ同じ診断名と服薬内容であったのだ(略)
診断名 自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群、ADHD。
自閉症スペクトラムとADHDは併存することはある。しかし、おかしいのは、自閉症スペクトラムとアスペルガー症候群が併記されていることで、DSMの診断基準が、2013年に改定され、アスペルガー症候群は使わず、自閉症スペクトラムに含めることにしたのに。しかも、この3つの併記は何人にも行われていた。
さらに、処方薬は、おしなべてコンサータ(ADHD用)、リスパダール・エビリファイ(共に自閉症スペクトラム用だが、通常はどちらかが処方)。
数人の子どもは、全て過剰診断と思われ、私の診断では自閉症スペクトラムという診断は出来なかった。つまり、不必要な薬が投与されていた」。
このように、発達障害を含めて精神疾患全体に、過剰診断、過剰治療、不必要な向精神薬投与(単なる傷害)が行われているのである。
【軽度の発達障害だった筈の子が、どんどん状態が悪化し、強い薬を出されるようになり、病名も「統合失調症」や「双極性障害」などに変遷し、一生、薬を飲み続けるように言われるようになった事例は決して少なくない】
過剰診断、過剰治療が罪深いのは、【被害者が被害を出来ないところにある】
それどころか、「傷害を見つけてくれてありがとうございます」と感謝すらしている。例え、被害を自覚しても、【主治医の責任を追及するのは非常に困難。なぜなら、どうとでも言い逃れできてしまうから】
他科では、例えば、癌ではなかったのに癌と診断し、必要のなかった手術をしてしまうようなことがあれば大問題になる。
しかし、精神疾患や発達障害の領域はそうはならない。診断基準、診断手法そのものが曖昧なためで、診断や治療が正しかったかどうか客観的に厳密に検証することは非常に困難を伴う。一方の主治医には、いくらでも逃げる余地がある。
薬物治療による被害を立証するのはさらに困難。たとえ、デタラメな投薬が事実として認められても、それが健康被害を引き起こしたかどうかは別の話になる。
民事で訴える場合、被害を立証するのは、原告側の責任になるので、よほど有能な専門家が味方につかない限り、因果関係不明として処理されるのが関の山なのである。
第33回
精神科領域で治療を受けることのデメリット。誰も教えてくれない究極のデメリットは、【治療によって被害を受けても、誰も責任をとらず、誰も助けてくれないという冷徹な事実があります】
被害者は、被害による身体的、肉体的な苦痛を抱えた上で、主治医の不誠実な態度にさらに苦しめられることになる。
世間の無理解と差別・偏見に直面させられ、公的にも私的にもなんの救いの手も差し伸べられないまま、追い詰められてゆく。
【精神医療被害は、ほとんど受け皿がないのが事実】
行政機関や弁護士らに被害を相談しても、まともに取り合ってもらえず、精神科と口に出しただけで門前払いや、たらい回しにされたという体験をした人は決して少なくない。
ただ、自分の苦しい状況を伝えたいだけなのに、「狂った患者の妄想だ」「金をせびるための演技だ」等と、ありとあらゆる理不尽な非難や責めを受けたりします。副作用被害救済制度は、適用できる案件も厳しくあてにはならない。
障害を理由とした差別、偏見など本来、あってはなりませんが、【日本では特に精神障害者に対する差別、偏見が根強く残っている】
【その理由は、精神医療関連団体が、積極的に患者に対する偏見を煽り、それを助長するよう強制隔離や強制不妊手術などの精神保健施策がおこなわれてきたからである】
実際、どの程度まで偏見があるのかというと、「被害を訴える精神科患者の声など先ず信用されない」というくらいある。
日常的な会話や付き合いだと特に問題はないかも知れない。しかし、【治療による被害を訴えたら途端に信用されなくなり、誰も耳を傾けてくれなくなる】
【実は、それこそが、今まで精神医療現場で起きてきた犯罪や人権侵害が隠されてきた理由なのである】
以下の事件に関しては、『もう一回やり直したいー精神科医に心身を支配され自死した女性の叫び』(米田倫康・萬書房・2019年刊)があり、是非、こちらも御購読して欲しいと思います。
2019年3月20日、鹿児島地裁において、ある精神科医に懲役2年執行猶予4年が言い渡されました。罪状は「詐欺」。被害金額は50万円。これだけみるとたいした事件ではないように見えるかも知れません。
しかし、この事件の背景には法で裁けなかった数々のおぞましい実態があり、表には出てこない無数の被害が存在していました。
この精神科医は気まぐれでよく突然休み、従業員に院内処方の向精神薬を通院患者に渡させ(医師法違反、麻薬及び向精神薬取締法違反)、カルテ上は自分が診察したことにして不正請求し(健康保険法違反、詐欺罪)、自分が使うために薬を横流しし(麻薬及び向精神薬取締法違反)、患者や患者家族、患者の付添人、従業員など、業務上、接したあらゆる女性に見境なく性的アプローチをかけ、その立場や専門的知識や薬を悪用して性的関係を持つという乱脈ぶりでした。
そのうち、2名の女性が自殺に追い込まれてしまいました。1人は従業員、もう1人は患者でした。
被害女性らは勇気を振り絞って警察や行政機関に相談していましたが、まともに相手にされませんでした。
【警察が真剣に取り上げ捜査をしていたら、少なくとも1人の女性の命は助けられたのに】
(本書の著者米田倫康氏は、この犯罪行為に対しどのように立ち向かっていったのでしょうか?)
性的被害の問題で真っ正面から向かっても簡単に逃げられてしまうのは分かっていた。
【今まで何件もの精神科医療機関を「不正請求」で摘発してきた経験から、1%でも逃げられる余地のある証拠ではなく、確実に逃げられない証拠を探し求め、その証拠を使って県警、所轄の警察署、県、保健所、九州厚生局等に働きかけ。被害の実態を調査するように関係機関に強く要求していきました】
その結果、精神科クリニックは閉院、院長は詐欺罪で逮捕、起訴されました。
その精神科医は児童精神科医を標榜し、「発達障害」の診断治療を行い、「コンサータ登録医」でもありました。
コンサータはADHD薬ですが、乱用が大きな社会問題となったリタリンと同じ成分(塩酸メチルフェにデート)なので、「コンサータ登録医」しか処方できないという厳しい流通管理がありました。
【一番、渡してはいけないような精神科医に、この特別な資格が渡っていました】
この精神科医は、近隣学校の学校医を務め、デタラメな治療の被害を数多く出していました。強い薬を出されていたために、学校でも震えが止まらなくなり高校生活が台無しになってしまったと憤るもと患者もいます。
実は、このような精神科医は珍しくなく、私自身、他にも数人、同様な精神科医を摘発しているのです。
【歪んだ支配欲、金銭欲が強い人物にとって、精神科医療機関ほど、その欲を満たせる環境はない。程度の差こそあれ、一定数このような倒錯した精神科医が存在することは警戒しておくべきである】
【子どもを安易に精神科につなげるような教師や保育士は、このようなリスクについて理解などない。そもそもつなげた先の精神科で一体何が行われているのかすら知らない。断言しておきますが、つなげられた精神科で被害に遭ったとしても、つなげた教師が責任をとることなど絶対にありません】
第34回
現在、「発達障害は脳の先天的機能障害なので治らない」という認識が圧倒的多数を占めている。
「発達障害が治った」というのと「発達障害と診断されていた人が治った」というのは必ずしも一緒ではない。
数多くの事例で、「愛着障害が発達障害と誤診されている」という専門家の指摘もある。
発達障害の中でも、特に自閉症は古い歴史があり、かつては育て方の問題だとされ、主に母親が理不尽に苦しめられた時代を乗り越え、ようやく「子育ての問題ではない」という共通認識を勝ち取ったという背景がある。
発達障害をめぐる誤解や対立、混乱の原因の1つは、【「発達障害」という包括的な概念自体にあり、知的障害を伴う重度の自閉症と発育に伴って特性が目立たなくなるようなグレーゾーンの状態と、はたして同じ発達障害と一括りしても良いのかという問題がある】
【誤解や対立を生む何よりも一番大きな原因は、発達障害が正しく診断されていないという点にある】
【正確には、本来、発達障害とすべきでない人々が誤って診断されている】
発達障害と診断されていた人が食生活の改善で治ることもある。矯正歯科で歯の噛み合わせを良くしたら完全に多動がなくなった人もいる。食事療法、栄養療法で完治した人がいる。
しかし、本来、そのようなアプローチによって治る人々が発達障害とされていたこと自体おかしいこと。
非難すべきは、実際に治療や改善に導いている人ではなく、治った、改善したと喜ぶ人でもなく、【その人に「先天的」「治らない」という烙印を押すような発達障害の診断を誤って下した医師ではないか】(続く)
今や、「発達障害バブル」に伴い、医療や福祉、教育、それらの近接領域に「発達障害ビジネス」が大流行している。
もちろん、その中にはまともなもの、効果のあるものもありますが、金儲け主義や補助金目当て、詐欺とも言えるインチキなものも蔓延している。
「専門の資格を持ったお医者様は信頼できるので、無資格者の意見に惑わされることなく、お医者様を信じよう」
【しかし、この考えこそが悲劇を生むのです。なぜならば、一番あくどい発達障害ビジネスは、まさに本流である精神医療の領域で発生しているからです】
代替療法などの、本流ではない治療に対して「疑似科学だ」「インチキ療法だ」と必死に叩いている人は、【なぜか、精神医療という本流の非科学性、詐欺的手法に対して公然と批判はしない】
【初診の問診のみで、発達障害の診断を下すような医師は、先ず、信用に値しません。それは科学的、医学的根拠が全くないからです】
すぐに診断をつけてくれる医師、すぐに薬を出してくれる医師をありがたがり、「名医」だと勘違いしてしまう人も多いのですが、【精神科医療に限っては全くその逆と考えた方が賢明です】
【本当に名医と呼べるのは、一見して精神障害や発達障害に見える症状があったとしても、すぐに診断や薬を出さず、その症状を引き起こす可能性のある身体症状について徹底的に検査するような医師です】
【そして、医療が出来ることと出来ないことを自覚し、可能な環境調整をしつつ十分な経過観察をし、その人に本当に必要な支援を提案できる医師を指します】
問題行動を全て「本人の脳のせい」にしてしまえば、正直、非常に楽です。医師にとっても周囲にとっても。
なぜならば、本質的な問題に向き合う必要もなく、しかも表面上の効果はてき面であり(大人しくなる)、まるで解決したかのような錯覚に浸ることが出来るからです。
学校の問題教師からいじめを受けた子どもが不登校に。驚いた親が子どもを連れて精神科を受診。何らかの病名がつき、安定剤などが処方され、子どもは、ぼーとした状態で登校を再開。めでたし、めでたし・・・。
それは、親、教師、主治医にとってはめでたい話かも知れませんが、本人の不利益は全く考慮されず、本質的な問題は全く解決されないままになってしまっているのです。
第35回
食事、栄養がどれ程までに、振る舞いや思考、精神状態に影響を与えているのか本当に理解している人は少ない。
食品添加物と発達障害の関連性を主張する研究者もいる。
英国のようにADHDとの関連が疑われる特定の合成着色料に対して自主規制を求める勧告を出す国もある。
「もしかして、発達障害診断の多くは、栄養的アプローチによって治るような状態の子が多く含まれているのではないか」。
「子どもの心と健康を守る会」代表の国光美佳氏は、うつ病、統合失調症等の精神疾患、発達障害と診断されてきた子どもたちに対して、食事の見直しによって改善させる取り組みを続けて、現在までに改善例は100を超えるまでに達している。
ここでその中から1つの改善例をあげる。
小学校2年生の男児は、極端な偏食で、しょっちゅう、パニック、イライラ、集団行動の不適応、微細運動障害の症状が目立ち、児童精神科で「アスペルガー症候群」(現在は、自閉症スペクトラム)と診断され、1年生から抗精神病薬リスパダールを服薬していた。
朝食は「じゃがりこ」、昼食は殆ど給食を残し、夕食は家族とは別メニューでカップラーメンだけだった。
国光氏は、即、「カップラーメン」を取り上げるようなことをせず、現実的な段階に沿ったアプローチを行った。
カップラーメンに少しずつ煮干し粉を混ぜていったのである。
亜鉛などのミネラルが欠乏していると味覚が異常になり、ジャンクフードばかりを美味しいと感じてしまうため、【味覚を戻すためにミネラルを補給した】
次第に男児はご飯を食べれるようになり、徐々に栄養分(特にミネラル)が豊富な食材やレシピを増やし、ついに野菜やお魚まで食べれるようになっていった。
食事改善のアプローチ前は、薬を服用させられていることについて、「僕はバカだから飲むんでしょ。バカ薬だ」と自己否定に陥っていた。
ところがこうしたアプローチが功を奏し、「楽しい」「幸せ」と表現するようになり1年後にはリスパダールの処方が終了し、薬がなくてもパニックなどの症状は出なくなったのである。
コラムー現代食はミネラル不足ー
ミネラルは神経伝達物質やホルモンなどを作る酵素を働かせるために、体にも心にも重要な栄養素であるにも関わらず、便利になった現代食は、その加工工程でミネラルが流れ出てしまう要因が含まれている。
実際に、コンビニ弁当や冷凍食品、レトルト食品、惣菜、持ち帰り弁当などに含まれているミネラルのうち、カルシウムやマグネシウム、鉄、亜鉛、銅を実測すると、その殆どは、厚労省が定める推定平均必要量に全く満たないという実測値が出ているのです(国光美佳『食事でかかる新型栄養失調』三五館・2010年)
ー向精神薬の減薬ー
例え見かけ上であっても、薬によって症状あからが安定している場合、本人はともかく安定を崩されることを嫌う。又、急激に薬を止めたり量を減らしたりすると「離脱症状」を引き起こす危険性がある。
多くの精神科医は、その離脱症状を「薬を飲まなかったから、いつもよりも症状が出た」と解釈し、薬を止められないどころか、ますます増薬される場合すらある。
(減薬を申し出ると「せっかく、あなたのために処方したのに、もう病院に来なくていい」と激怒された患者も多い。私は「この病気は一生治らない。良くて寛解(安定した状態が続くこと)。」「だから、薬は一生飲み続けなければならない」と言われ続けてきた。つい最近、断薬を申し出ると「それはあり得ない」とも。
全ての悲劇は、初診当日に精神疾患の診断名というレッテルが貼られてしまうことからは始まる。
アメリカの「DSM」(精神病の診断基準)よりも、もっと簡単なチェックリストに基づきあくまでも最終的には、精神科医の主観で決められてしまうのである。
例えば、あの相模原事件の被告が措置入院の際、4人の精神科医が下した診断名は4人とも全く異なっていたことを想起して欲しい。
そして、いったん患者に貼られたレッテルは、その後、さらに、重い診断名に切り替えられことは多く見られても、明らかな誤診・過剰診断であったことを認め、軽い診断名になることは決してないのである)
かつて、精神科病院の病院長同士の会話の中では、入院患者は【固定資産】という言葉で表現されていたー『精神医療に葬られた人びと』織田淳太郎・光文社新書・2011年刊ー。
そう考えると、通院患者も、精神科医や病院にとっては、大切な収入源であることには変わらない)。
つまり、いったん、薬が入ってしまうと、本当に薬が必要だったのか、他の手段で改善できたのかを検証することが困難になってしまう。
薬を止めてリセットした状態にしようとしても、その状態が薬を始める前と同じとは限らない。実際、薬を止めたのに、以前は全くなかった不随意運動に苦しめられている子どもたちもいる。
前記の国光美佳さんは、医師ではないので、減薬、断薬を勝手に指示することは出来ず、保護者と主治医の合意の下で薬を減らすようにしている。
この小学2年生の男児は、「ADHD」「自閉症スペクトラム」と診断され、1日にエビリファイ1mg1錠、コンサータ18mg1錠、27mg1錠、インチュニブ1mg1錠を同時に処方されていたが、ミネラルなどの栄養を補給しながら、ついに減薬、断薬に持ち込んだ。
【むしろ、こうした薬の服薬中に暴れていたのが、断薬後にそうした症状もなく落ち着きを取り戻した】
第36回
発達障害の診断が出るお子さんの中には、新しい環境に戸惑ったり、他人同士のやりとりを、そのまま自分に向けられた言葉と受け止めたりしてしまう傾向がある。
小学4年生A君は、引っ越しがきっかけで、学校で教師に暴言を吐いたり、学校を突然、飛び出すような行動をとるようになった。
教育委員会の先生から病院へ行くことを勧められ、精神科医から毎日エビリファイ0.03mg処方された(約半年)。
エビリファイは元々、統合失調症用の抗精神病薬で、添付文書には、自殺企図、不眠、認知症、低血糖などの副作用が明記されていた。その結果、A君は急に落ち着きはじめ、暴言を吐くこともなくなり、その大きな変化に教師も驚いたという。
わずかな量でも、こうした大きな変化がもたらされた薬に疑問を感じたA君の母は、小学校入学以前に通園させていた出雲市の「ゆめの森こども園」の園長前島先生に相談。
前島先生の提案で、「薬は止めよう。再び、ミネラルを増量して頑張っていこう」ということになり、イワシ、トビウオ、昆布の粉末(天然だし調味料)を煮出した液体出汁や、エキストラバージンオリーブオイルを毎食、小さじ1~2杯を使用していった。
A君の状態が次第に落ち着いてきたので、主治医も「学校の先生と相談して落ち着いている時期に止めてみても良い」と了解を得ていた。ついに1ヶ月で断薬。
冬休みが終わり、3学期が始まるとA君は行事の練習など生活リズムが忙しくなると調子がガタガタとなり、学校から「A君がパニックを起こして泣いているので迎えに来て下さい」と頻繁に電話が来て、「薬とうまくつきあって行く方向もあるのでは?」と提案される。
A君の母は「薬を止めた場合の未来を見たいと思います・・・やっぱり薬から子どもを守りたいから、まだまだ挑戦はこれから。毎日、葛藤です」と気持ちを奮い立てながら日々を過ごした。
断薬後の離脱症状の可能性も考えられたので、ミネラルの増量を強化しつつレシチン量をゼリータイプの「アルファベスト」で増やし、「ゆめの森こども園」でも使っていたDHA、EPAのサプリで良質の魚油をさらに加えた。
家庭で断薬できても、「薬をなぜ飲ませないのか」「お医者さんが出しているのだから、飲んできた方が本人のためになるのでは」という考えの先生にとの間に立って、苦しむお母さん方は決して少なくない。
断薬後に荒れた時期には、教育委員会から、学校の先生と一緒に主治医に相談に行くようにと言われたことがあった。
その時、医師は【学校現場で出来ることがもっとあるのではないですか?すぐに病院を頼るのはいかがなものですか?】と言ってもらいA君の母は正直、驚いたという。
その後、母は、向精神薬に対する疑問を担任教師に本心で伝え、次第に担任も薬に対する理解を深めていった。
春休みになるとA君はすっかり落ち着きを取り戻し、ご両親は、電車好きのA君の関心をさらに広げられるようにと一人旅を計画し、A君は4時間の一人旅を見事に達成した。
後に母は、「子どもに関わる大人は、向精神薬への正しい知識をしっかりと得て、子どもたちの将来のために必要な対処法を見極めていかなければならないと改めて感じています」と記している。
出典 「小学生に抗精神病薬」国光美佳(『食品と暮らしの安全』2017年6月号)
もっと知りたい方は、『食べなきゃ危険ー食卓はミネラル不足』(国光美佳・三五館)
『食事でかかる新型栄養失調』( 〃 三五館)、『キレなくなった子どもたち』( 〃 食品と暮らしの安全基金)、子どもの心と健康を守る会のHPを参照して下さい(続く)
栄養学的なアプローチで治る人は、本来、発達障害に含めるべきではない。しかし、それが発達障害診断に混入されているのが現実。
エビデンスと机上の空論に囚われている人は、理論上の発達障害と現実の発達障害の区別がつかず、「発達障害は治るはずがない」という呪縛から逃れられないため、「発達障害と診断された人」が改善されている事実を認めることが出来ない。
発達障害の診断を確定するためには、同様の症状、振る舞いを引き起こす様々な別の病気や要因を全て除外していく必要がある。
その原因をあげてゆくと以下のようになる。
A. 遺伝的な理由による脳の何らかの異常
B. 遺伝が原因ではないが、先天的な脳の何らかの異常
C. アレルギー
D. 食生活の問題(ジャンクフード、添加物、砂糖過量摂取、偏食)
E. 腸の問題(リーキーガッド症候群、便秘、悪玉菌の異常増殖)
F. 血糖値の異常(低血糖症、糖尿病、血糖値調整機能の問題)
G. 咬合関連症候群(噛み合わせの異常による様々な症状)
H. 骨格の歪み
I. 首こり、肩こり
J. 中耳炎
K. 服用している薬の副作用
L. 電磁波、低周波音などの環境汚染
M. テレビ、スマホ、ゲームの影響
N. 愛情不足、過干渉、虐待など子育ての問題
O. いじめ等の抑圧的な人間関係、ストレス性の強い環境
P. 単なる個性の範疇(特性が受け入れられない不寛容な環境)
Q. 発達速度の個体差
【本来、発達障害と規定されているのは基本的にはAとBのみだが、現実には、C以下の要因よる症状が発達障害と診断されているケーズが多いのである】
【身体的検査を基本とする小児神経科医に比べ、問診やチェックリストを重視する精神科医は、他の身体的要因を積極的に検査して、発達障害から除外するという視点や能力にかける傾向がある】
【又、医師の基本的な姿勢によって、発達障害の診断が変わってくる。ある医師は発達障害をいかに見つけ出すか視点で診断する。これは、その人物が犯人であることを示す証拠で固めていく検察に近い視点である。別の医師は、いかに発達障害ではない可能性をを見つけるか、弁護士に近い視点を持って診断・治療にあたる】
【発達障害診断においては、検察官的視点よりも、はるかに弁護士的視点が重要である。なぜならば、冤罪は取り返しがつかないからである】
第37回
栄養状態を改善したら解決したはずなのに、発達障害のレッテルを貼って向精神薬を飲ませるということは、真犯人が別にいるのに冤罪被害者を刑務所にぶち込むようなもの。
【実際のところ、早期発見至上主義による発達障害診断は、弁護人不在の刑事裁判のよう】
検察側がまともであればまだ救いもあるが、その望みは薄い。
証拠が不十分なまま、あるいは捏造して起訴するようなデタラメな検察官がいるのに、誰もその暴走を止めない、止められない。
日本でも、腸の問題を検査する医療機関、毛髪分析で栄養状態や重金属の影響を調べる医療機関、血糖値の変動を長時間かけて検査する医療機関などもある。
精神障害や発達障害と診断されていた人が、本当の不調の原因を見つけ出し、正しい原因に対する正しいアプローチで改善したケースがいくつもある。
発達障害の診断はスティグマとなるため、冤罪防止のための弁護士的視点を持った医師がもっと増えるべきである。
【もしも、医療にかかるのであれば、発達障害診断に対して慎重派の医師を選ぶべきで、そして問題とされる症状や振る舞いを引き起こす原因となっている身体的要因を見つけ出すという視点と力量を持った有能な医師にかかるべきである】
決して、安易なチェックリスト診断に頼らない本物の医療は必要。
しかし、【医療よりも前に出来ることはたくさんある。他人と異なる振る舞いを、すぐに医学的な問題であると周囲がとらえてしまうことで過剰に医療につなげてしまう問題が起きている。本来、医療が解決すべきではない問題まで医療に押しつけることになっているのが現状】
【専門家や薬への過剰な期待や発達障害への不安が煽られることで角の医療化が進んでいる】(続く)
発達障害者支援が先行する米国では、製薬会社と結託したアメリカ型精神医学の影響を直接被り、ADHDの過剰なレッテル貼りや薬漬けという社会問題を引き起こした。
一方で、その反省から子どもへの薬物治療が見直され、【必ずしも医療に頼らない多職種連携による発達支援が行われている】
日本で進められている発達障害支援と、米国で行われている発達支援とは全く別物である。
日本では、発達上の問題というよりは「障害」という認識で、発達障害がとられれ、医療や療育にお任せして、子どもを何とかしてもらおうという姿勢が基本にある。
アメリカは各州によって発達支援に違いがあるが、以下にカリフォルニア州を例に挙げよう。
カリフォルニア州では、ユニークな子どもと家族を支援するという姿勢が基本で、セラピストが発達支援についての知識、環境設定などの面で、その子どもへの関わり方のノウハウを親に教える方式をとっている。学ぶのはむしろ、その子と一緒に過ごす家族や学校側になる。
発達支援費用は全て公費で賄われ、担当ケースワーカーが窓口となり療育センターセラピスト、幼稚園や学校の先生、医師等と常に連携してチームとして家族を長期にわたって丸ごとサポートする体制になっている。
副作用のある薬物療法に頼らなくても、「正しい知識、環境設定、合理的配慮」によって、身体に害を及ぼさない発達支援が可能になっている。
鍵を握るのは、このような発達支援が出来る専門家が、今後、日本でどれだけ育つか。又、発達障害の診断が前提となるような支援体制を改めなければならない。さもなければ、このまま【魔女狩り的な発達障害探しはますます加速していくだろう】
第38回
発達支援の理想的な姿は、どういう形なのだろう?
現在のそれは、精神科医が頂上に立ったミラミッド型の形。他の専門職(教師・保育士・教育委員会や行政の相談機関職員)は医師の指示の下に動き、何より「診断」が絶対的な力を持つ。当事者・家族は一番下の階層に位置し、支援の内容はサポートではなく、しばしば強制力を伴う命令の形で、一般社会とは切り離した上での措置が行われる。
理想的な発達支援の姿は?端的に言えば、当事者・家族が中心に位置し、他はそれを取り巻く惑星のような形。
中心に当事者・家族が位置して、それを支える多職種がチーム体制をとる。精神科医と他専門職は対等な関係で、医療の果たす役割は小さい。サポートの選択や受け入れは、あくまで当事者が決める。又、そのサポートは、十分な選択肢があり、インフォームド・コンセントが必ず行われ、社会全体でのサポート体制をとる。
理想的な発達支援の姿を実現するためには、社会の仕組みや、一般市民の生き方や価値観までも変える必要がある。
そのための基本的な方針として、【発達支援の分野から、精神医学的なイデオロギーや実践を排除する】ことが重要である。
現在でも、最も人権がないがしろにされている分野こそが、精神医療であるという事実は変わらない。
【根拠のないデタラメな診断、投薬によって、患者を死亡させたとしても、又、何の根拠もなく妄想と決めつけて正常な人を強制入院させたとしても、精神科医が刑事事件として起訴され、有罪になることはない。
一般人が同じことをしたら、殺人罪や逮捕、監禁罪などの凶悪犯罪として扱われるが、彼らは決してそのように扱われない。要するに、法律や憲法すらも超える存在なのである。
あくまで「医療行為」と言い張れば、根拠を示さずともどんなデタラメも許されるという彼らの特権を剥奪し、法律で取り締まれるように為なければならない】
現代精神医学は、その名前から連想されるようなイメージとは逆に、いわゆる一般に精神や心、あるいは魂と呼ばれる観念を否定する唯物論に基づいている。
中でも、生物学的精神医学は、「脳=心」という発想に基づき、脳に対して物理的なアプローチ(薬物・電気ショックなど)で、人間の心や思考を変えようと努力してきた。
それが単なる「科学的上の仮説」ですめば問題はなかったが、そこに差別的な思想が入り込み、特殊な強い権限を持つようになったことから大きな社会的な問題に発展してしまった。
「優生思想」のような危険な思想が影響力や権限を持ってしまうと社会は混乱に陥る。
【精神医学は、いまだに「仮説の領域」を出ていない】
【精神障害の原因を脳の求め、今までありとあらゆる研究、実験を行ってきたが、その原因の特定は出来ず、客観的な診断手法も存在しないのである】
出来ること、出来ないことを自覚した謙虚な姿勢で人に接するだけであれば、特段、害はなかった。
ところが、精神医学はメンタルヘルスの分野をほぼ独占し、精神科医は唯一の専門家として他人に対して診断を下し、それを基にその人の人権を剥奪でき、虐待、拷問に等しい治療を強制できる権限を持ってしまった。
強い権限には、それに見合うだけの能力と責任を伴わせなければならない。さもなければ、それは暴走してしまうから。そして、実際に暴走しているのが精神科医なのだ。
2016年、他人を強制的に入院させたり、縛り付けたり出来るライセンスである「精神保健指定医」の資格の取得段階で不正が見つかり、なんと89名もの精神科医が処分されたことは記憶に生々しい。
【精神障害の診断、治療で一番大事な患者への人権意識や、順法精神すらない人が、資格を不正に取得し業務に当たっていたのである】
第39回
メンタルヘルスという領域において、精神医学ではない効果のある実践などいくらでもある。医師という肩書きがなくても、医療というカテゴリーでなくても出来ることはたくさんある。
今の日本では、精神科医による判定や指示の下でないと何も出来ないという現況にある。少なくとも精神科医の指示に逆らうのは非常に困難である。
【本当に効果のある実践が普及するには、精神医学的イデオロギーと決別し、精神科医に与えてしまった特権を見直す必要がある。彼らがはt経つ渉外支援を含むメンタルヘルスの分野を独占する限り、その現状は変わらない】
だからこそ、「発達障害支援の分野から、精神医学的なイデオロギーや実践を排除する」という必要がある。
もちろん、既得権を打ち破ることは簡単ではないが、先ずはそういう考えを皆に共有してもらうのが第一歩になる。
そして、これは私たちにとって「自分たちの責任に向き合うプロセス」でもある。
今まで専門家に丸投げすることで放棄してきた責任がある。
それは、精神医学的イデオロギーによって責任が奪われてきたとも言えるが、私たちが放棄したからこそ、そこに入り込んできたとも言える。
精神科医が悪い、薬が悪いというのは簡単ですが、それにつけ込まれた自分を含めた社会の責任に向き合うことが重要なのだ。
発達障害バブルの暴走は、制度そのものが変わらない限り止まることなく根本的な解決に向かうことはない。
歪められた発達障害者支援、デタラメな精神科治療による犠牲者は、単に世間に知られていないだけで無数に存在する。
様々な立場の方から、現行の発達障害者支援に対して疑問の声が上がれば、制度の見直しも現実的になってくる。声が上がらない限り被害は全くなかったものとされてしまう。
声を上げ、摘発や制度見直しに結びつけることのみが、発達障害バブルの暴走を止める唯一かつ効果的な手段なのである(終)。
【主治医の指示に従って真面目に薬を飲み続けた人が、徐々に薬物に依存してゆく。さらに耐性が出来てしまい、Maxの量を服薬しても効き目が現れない常用量依存となり離脱症状に苦しめられる。それから逃れるために過量服薬や多重受診、違法な売買に手を出すところまで追い込まれてゆく】。
国家資格である医師の免許を持った人が、合法的な医薬品として薬を処方しているという建前があるために、医師側が責任を問われることはほとんどなく、患者側も被害に遭っているという自覚すらないのである。
【堂々と違法売買しているヤクの売人よりも、精神科医たちの方がある意味、悪質と言えるのである】
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