top of page

​                   精神医療を考える(Ⅵ)

第76回

 1990年代末からのうつ病患者の急増の背景には、SSRI(新型抗うつ薬)の登場があり、その販売促進のための「心の風邪」キャンペーンがありました。

SSRIの売り上げや、「うつ病」患者の急増を期に一にするように、精神科や心療内科を標榜する診療所、いわゆる「街角メンタルクリニック」が急激にその数を増やしていったという事実です。

 

 厚労省の「医療施設調査」によれば、1996年には精神科を名乗る診療所は3198、心療内科の診療所は662でした。

ところが、それが、2008年には精神科が5269、心療内科が3775へと急増しています。伸び率は、精神科で1.8倍、心療内科では5.7倍という驚くべき激増ぶりです。

そのうち、一般病院も数を増やしていますが(精神科1.2倍、心療内科5倍)、同じように高い伸び率であっても、そもそもの絶対数が違います。

 

 急増する「うつ病」患者の主たる受け皿になったのが、「街角のメンタルクリニック」であったことは疑いようがありません。

では、なぜ、これ程までに、心療内科を標榜する「街角のメンタルクリニック」は増えたのでしょうか?理由は大きく三つ考えられます。

 

 1つは、精神科医が開業する際に「精神科」ではなく「心療内科」を名乗ったことで、患者の心理的抵抗が減じ、クリニックを訪ねやすくなったという点。

厚労省によって「心療内科」の標榜が認められたのは、1996年9月からで、本来の「心療内科」は、ストレス性胃炎や過敏性腸症候群のような心身症を扱い、精神科はもちろん精神疾患を扱う診療科目です。

精神科医が、「精神科」ではなく「心療内科」を名乗ることは「心療内科」の本来の意味から少々はずれることです。

 

 ただ一般の方には「心療内科は軽い心の悩みを扱うところ」といった好印象を持ちやすく、開業した精神科医としても、一般の人がそういう心理を抱くということを計算に入れ、「当院は心療内科です。気軽に受診できるところです」という受け止め方をしてもらおうと目論みました。

 

 そこに「心の風邪」キャンペーンが行われたので「心療内科」の軽いイメージと「心の風邪」の洒落たキャッチワードの効果が相まって集客には好都合であろうと読んだわけです。

 なぜ、「街角のメンタルクリニック」が急激に増加したのか?

 

 2つ目の理由は、開業が簡単だったからです。

メンタルクリニックは、外来の人のみで、入院施設はありません。このため、極論すれば、椅子と机だけあれば、開業できるのです。

 

 もちろん、レントゲンなどの医療機器や設備もいらないし、薬は院外処方箋を出すようにすれば診療所内に在庫を抱える必要もありません。看護士を雇用しなくても何とかなります。医療事務のスタッフが1人いれば十分です。

 

 3つ目は、1996年以降の診療報酬の改定で、診療所の外来診療報酬が病院より高く改定されました。

 

【病院の精神科外来よりも、診療所の外来の方が儲かるようになりました。その結果、大規模な精神科専門病院も、病院とは別個にメンタルクリニックを駅前に作って、外来機能をそちらに移して、経営の効率化を図るようになりました】

 

【「うつ病」の大流行は、SSRI(新型抗うつ薬)の登場と「心の風邪」キャンペーンに加え、メンタルクリニックの急増もまた重要な役割を演じていたのです】

 

 中には、「簡単に始められる」「儲かる」といった理由だけで、まだ精神科医としては技量を十分獲得していない段階から拙速な開業を敢行する人もいます。

 

 それどころか、精神医学のトレーニングを受けたことのない他科の医師が、素人芸でメンタルクリニックを開業してしまうケースすら出てきました。

こういう劣悪なクリニックでは、精神科医のプロの仕事、つまり精神療法など到底出来ませんから、薬を出す以外何も出来ません。患者は当然、「多剤大量処方」で、薬漬けになってしまいます。

第77回

 こういう診療所からは、多剤大量処方を繰り返す患者が出ます。

私の勤務する病院は3次救急病院ですので、自殺未遂患者を大量に受け入れています。どこのメンタルクリニックが自殺未遂患者をよく出すのか、どこのメンタルクリニックが多剤併用を行っているかなどは、私どもの病院救急科では常に話題になっています。

 

 どの地域にも、悪名高いメンタルクリニックというものが、数軒はあります。

自殺企図の方法で最もポピュラーなものが処方薬の過量服薬ですから、その意味では、こういう劣悪なメンタルクリニックの医師たちは、「死の商人」と呼んで差し支えないでしょう。

 

【中には、患者が何度、過量服薬を行っても、全く多剤大量処方を変えようとしない精神科医もいます】

自分が処方した薬剤で自殺を図り、救命救急病院の医師たちがやっとの思いで救命しても、その後も、同じ患者に同じ大量処方を行います。

 

 その結果、同じ患者が、数ヶ月後には、数ヶ月後にはまたしても自殺未遂で、救命救急病院に運ばれてくるのです。

【これは、救命救急センターの日常茶飯事なのです】

 

 精神科医療の現場は、玉石混淆であり、劣悪な医療機関も珍しくありません。

【藪医者でも害をなさなければいいのですが、よせばいいのに、自分なりに「良かれ」と思って、あれやこれや薬を次々と出します】

 

【その結果、一人の人間の人生をめちゃくちゃにしてしまうこともあるのです】

治療費を無駄にするだけならまだしも、薬漬けにされて何度も休職したあげく、会社を解雇になったり、5年も6年もただ薬をもらうためだけにクリニックに通い続ける羽目になりかねません。

 

(私自身は、20年にも及び精神科病院に通院し薬を処方され続け、その間、8度の休職を経て、最初に心療内科を受診してからついに10年後に早期退職を余儀なくされました、当時の自分のカルテや日記、関連の著作などから、それは、明らかに向精神薬による医原病であったと確信している。この間、10人以上の主治医が代わったが、誰一人として、診断の見直しや、減薬・断薬を提案した者は1人もいなかった)

 

「この医師は、自分の健康を託すに値するか」。そのことを常に疑ってかからなければならないのです。

 もしも、そのクリニックの医者が、例えば初診なのに薬を3種類以上出す。
 処方した薬の説明をしない。
 副作用の説明がない。
 不調を訴える度に薬が増える、変更になる。
 治療に関して疑問に思うことを尋ねると機嫌が悪くなる。
 薬を出すだけで、助言、指導、提案をしない。
 症状ばかり尋ねて、生活を知ろうとしない。

 

 等の傾向があれば、どうか警戒レベルを一段、二段と引き上げて下さい。

診察の度に、じわじわと薬剤が増えるようであれば、もはや警戒レベルをマックスに上げるべきでしょう。そして医療機関を変えることを考えるべきでしょう。

 

【日本うつ病学会は、2012年、軽症うつ病に対しては、非薬物療法を優先するとした「治療ガイドライン」を公表しています】

初診の際に、いきなり薬を出すような精神科医には、ためしに「ガイドラインでは、軽症では非薬物療法を優先するとありますが、私は薬を使わないといけないほど、重症なのですか?」と質問してみるといいのかも知れません。

 

 それですぐに不機嫌な表情をするようであれば、この医者は先ず間違いなく薬物療法以外の手立てを持っていません。薬漬けに合うリスクは高いと言えるでしょう。

【いずれにしろ、クリニックを受診する際は、決して一人で行ってはなりません。家族や友人に「ドクターは信用できるだろうか」と、一緒に行って、診察の後、「率直な感想を聞かせて欲しい」と頼むといいでしょう。

 

【悪い精神科医に引っかからないよう注意することは、家族や友人等に出来る一番のサポートです】

 

第78回

 

 巷間、「心病む人が増えた」「長期休職する人が増えた」と言われています。

【しかし、長期休職の増加は、その責任の半分は精神科医の側にあると言えないでしょうか?】

【精神科医の余りに甘い対応が、患者を仕事からの逃避へと誘い込み、長期休職をもたらし、ついには退職へと追い込んではいないでしょうか?】

 

 初診したその日に「うつ病ですね。3ヶ月の休職です」と言われる。だいぶ元気が回復したと思ったら「まあ、そう焦らないで」と言われる。いよいよ復職しようと思ったら「無理をしたら又、失敗しますよ」と言われる。

そして、復帰を前にした不安を口にしたら「まだ、復職は早いですね。もう少し休職しましょう。診断書を書いておきます」と言われる。

【つまり、初診の時から、常に意欲をそぐようなことばかりを言われます】

【そして、薬ばかりは、漫然とそれもかなりの量を飲まされます。これは時間をかけて徐々に社会人としての安楽死へと誘い込まれていくようなものです】

 

 大量の休職者、大量の復職困難者、そして大量の退職者の出現に関しては、その背景にある事情を知らなければなりません。

休職させることはしても、復職させるノウハウがない。そんな精神科医が診断書を乱発すれば、惨憺たる結果が待ち受けています。

これでは、産業社会日本の足を精神科医たちが引っ張る結果となってしまいます。

 

 今後、職場のメンタルヘルスを考える際には、拙速なドクターストップは控え、【働きながら治す。治しながら働く】ことを考えるべきです。

生活習慣を改善し、充分な睡眠とアルコールの節減を行い、それである程度、心の健康が回復すれば、そのまま仕事を続けさせればいいのです。

「うつで休職するとしたら、どれくらいの期間がいいのでしょうか?」

 

 現状は3ヶ月が1つの標準単位のようになっていますが、大きな見直しの時期に来ていると思います。産業医の間からも「休ませないのが一番いい」という意見が出始めています。その通りだと私も思います。

 

 休職することで得られる利益としては一般に、

 

 ストレス状況から一時避難できる。
 睡眠により疲労の回復が得られる。
 気持ちの整理がつく。
 会社が職場や仕事の調整、再分配をしてくれる可能性がある。

 

【ただし、休むことに夜利益は、時間と共に下がっていきます】

最初の数日間くらいまではぐんぐんと上がりますが、ある時間を過ぎると効果は頭打ちとなり、それから先は、いくら休みを増やしても回復効果は期待できません。

 

【一方で、休職による損失は、時間と共に増大します」。具体的には、

 

 体力が落ちる。
 スキルが低下する。
 信頼関係が失われる。
 キャリアパスに傷がつく。

 

 などが指摘されます。

 

 他の同僚は着実に実績を作っていきます。同僚・上司との信頼関係、顧客からの信用、そういったビジネスパーソンとして必要な資産を日々、蓄えていきます。

 

 それなのに、休職中の身は、何も蓄えていません。昇進など、到底、考えるべくもありません。収入も下がってくる。会社や同僚の目も次第に冷めていきます。

「あいつは戻ってこないかも知れないな」そう思うようになります。

いないものと思って、仕事は既に振り分けられています。特に3ヶ月の休職を延長、延長で3回もやればキャリアの連続性は確実に断たれてしまいます。

 

 休職することで、いかに大きなものを失うか、そしてその損失は、休職期間が長くなればなるほど累積し、留まるところを知りません。

 

第79回

 

 私は「自宅療養が必要」という診断書を書くこと自体が極めて稀です。そう書く場合は、自殺の危険が差し迫っている、あるいは、既に自殺未遂を行ったような場合です。その場合は、先ず長くとも1ヶ月に限って休ませます。

その間に回復具合、特に本人の気持ちの整理がどの程度進んでいるかを見計らい、延長すべきであれば延長します。その場合も1ヶ月単位です。

 

 1ヶ月を単位とするのは、既に何度も述べた通り、【休職は長ければ長いほど弊害が大きくなる】という理由ゆえです。

もちろん、私の患者さんの中にも「休職したいので診断書を」とダイレクトに要求してくる方もいます。

その場合は、「病気とはいえるが、休職を要するほどの重症度ではありませんよ」と言ってお断りする場合もあるし、「本当に休職するのですか、そうすると失うものもある。休職は長くなればなるほど、復職が難しくなりますよ」とはっきり申し上げることもあります。

 

 もし、あなたの主治医が、あなたの言うなりになって、診断書の休職期間をいくらでも延長してくれたらどうなるか、でも、その医師は、あなたの復職に関しては、何のビジョンも方法も持っていないと考えるべきです。

それに、長期休職の事実に関しては、同僚たちは、冷ややかに受け止めていることは想定しておかなければなりません。

職場の同僚というものは、病気で休んでいるあなたに対して、無限大の優しさで見守ってくれている訳ではありません。

職場というのは戦場のようなところ。皆、忙しく、疲れ切っていて、人の心配などしている余裕はありません。

休職している人に無関心であるならまだしも、むしろ、あなたに対して「無用な業務を押しつけて敵前逃亡しやがった」と思っている場合すらあるのです。

 うつ病による休職者の増加は、産業社会を揺るがす一大問題です。企業としては従業員のメンタルヘルスに関しては、精神科医に丸投げするのではなく、自社でやるべきことはやらなければいけません。

 

【精神科医は「人を見たら病気と思え」「うつと思え」が習い性です】

 

 だから、本当は、残業続きで睡眠不足になり、疲労困憊しただけの「悩める健康人」であっても、診察室のドアを開けて入ってきた人は、全て「うつ病」にしてしまいます。

そして、大して効きもしない抗うつ薬を次から次へと出して薬漬けにしたあげく、最後には休職、失職に追い込むのです。

 

 悪意があって、そうしているのではありません、むしろ、善意から患者を治そうという熱意から結果としてそうしてしまうのです。

治してあげようと躍起になって、その結果、患者はますます悪くなっていくのです。

 

「悩める健康人」は本来、病気ではありません。精神科医の世話になる必要はないのです。

ところが、企業が従業員のメンタルヘルスについて、何もしないで放置しておけば、悩める健康人は精神科医のもとに駆け込みます。

 

 精神科医のところに行かれてしまった時点で、もう企業としては敗北だと考えるべきです。

そうなる前に何とかしなければなりません。さもないと、本来、病気ではない「悩める健康人」が、どんどん病気扱いされ、「慢性うつ病患者」として長い長い休暇に入ることになります。

​​第80回

 では具体的にはどのような取り組みをすればいいのか、それは一言で言えば、療養指導の基本原則に関する啓蒙です。

中でも大事なことは、写真のメンタルヘルス・リテラシーを高めることです。

メンタルヘルス・リテラシーとは、精神医学を学ぶことなんかじゃありません。うつ病やパニック障害の知識でもなければ、ましていわんや、抗うつ薬の知識なんかじゃありません。

 

 心の健康にとって必要な生活習慣について知ること、具体的には、1. 睡眠量 2. 睡眠相 3.アルコールの制限の3点です。これについて徹底して指導するのです。

 

 精神科医は、患者を勇気づけるのが苦手です。気合いを入れるとか、発破をかけるとかいったことについては、完全に腰が引けてしまいます。

 

 精神科医をして、かくも気弱にさせたのはが悪名高き「激励禁忌」の神話です。しかも、この神話は医療の現場に深く浸透しています。

 

 たとえば、一般病棟に入院した患者に、うつ病で精神科への通院歴があるとわかれば、たちまち、ナースステーションに緊張が走ります。

「気をつけましょうね。『頑張りましょう』などと、声をかけたら自殺しちゃうかも」。そうナースたちは思います。「うつにつき『激励禁忌』の要注意患者さん」そんなふうに見なされて、腫れ物に触るような対応を受けることになります。

 

 しかし、本来、激励が禁忌とされたのは、罪責感が強く適度な良心を持ち合わせた古典的なメランコリー親和型のうつ病患者だけです。

【それも、罪責念慮のどん底にある、最もシビアな時だけです】

禁忌が強調されたのは、治療の初期のごく短期間に限られていました。

それが、いつの間にか一般化されて「うつ病とくれば何でも激励禁忌」となってしまい、この怪しげな学説が、あたかも精神医学の定説のように流布してしまいました。

「うつ病とくれば何でも激励禁忌」となってしまい、この怪しげな学説があたかも精神医学の定説のように流布してしまいました。

なぜ、こんなことになったのでしょうか?

 

 精神医学の最大の失敗は、この都市伝説の根拠希薄な代物を、あろうことか医師国家試験に出題してしまったことにあります。

医師国家試験には、医師として絶対にやっていけないことを選ばせる「禁忌肢」という選択問題があります。

うつ病の激励禁忌は「禁忌肢」として、毎年のように出題されてきました。このため、「うつ病=激励禁忌」を当然のこととして頭にたたき込まれた新米医師が毎年1万人近くも新しい白衣に袖を通してきたわけです。

 

 しかし、うつ病の患者に「頑張れ」と言えば、機械仕掛けに窓から飛び降りることなどあり得ません。諸外国の精神医学の教科書のどこを見ても、「うつ病に激励は禁忌」などとは書いてありません。

それどころか、英語圏の教科書では、全て、うつ病の患者には「激励が必要である」とされています。

 

 激励禁忌は肝心な時に、精神科医を萎縮させ、回復の機会を失わせます。入院しての初めての外泊の時、休職して数ヶ月ぶりに職場に顔を出すとき、不登校の生徒が久しぶりにクラスに入るとき、患者は皆、怖じ気づいています。

【こんな時に、主治医は背中を押す一言を言ってあげなければなりません】

自殺の危険が切迫している場面では、「死んではいけない」と繰り返し励ましていかなければ助かる命すら助けられません。

【激励こそが、殆ど唯一可能な精神療法である場合すら少なくないのです】

親もパートナーも親友も、みんな判で押したように同じようなことを言います。

「無理することないよ」「焦るな」「じっくりやればいいんだから」・・・・。

 

 しかし、うつ病に限らず、およそ全ての疾患というのは、治療に専念すべき「いたわりの時期」と、努力してリハビリに取り組む「鍛える時期」とかあります。

【いたわるだけでは、心も体も弱くなります。鍛えるということもしていかないと本当の意味で強い身体も精神も作れません】

​​第81回

 「うつ=激励禁忌」は、一般の人にも知られていますから、患者自身も誤解します。

「頑張ろうと思うからいけないんだ」。「頑張らなくていいんだ。無理しなくていいんだ」そう思います。

それは、治療の最初期に限っては、間違いではありません。しかし、その後のステージは別です。特に【回復期には頑張りが必要です】

 

 うつのリハビリで一番大切なことは、【自助努力】です。

療養上の努力を自ら行うことなくしては治療も回復も実現しません。それを促し支えるのが精神科医の役割です。周囲の人も、「ここを乗り越えれば、きっと良くなる。だから頑張ろう」と言って、励まして行かなければなりません。

 

【患者さんが一番欲しい一言は、温かい励ましの言葉なのです】

「うつ=激励禁忌」は単なる都市伝説に過ぎません。何の根拠もありません。

 

 うつからの回復にとって、大きく足を引っ張る「諸悪の根源」と言えます。

身近な人がうつ病になると、周囲の人はどう接したらいいか戸惑うことと思います。「励ましてはいけない」などと言われると、一体、どうしたらいいのかわからなくなります。

 

 唯一いけないのは、体育会系の罵声や侮辱を伴う叱咤激励です。これだけはお控え下さい。

それを除けば、普通の健康人の常識的な感覚でつきあえばいいのです。

「人として当たり前の愛情と良識を持って普通に接すること」それに限ります。

 

 疲弊しきった急性期であれば「いたわりの心」で接すればいいし、回復期のリハビリの時期になれば「励ましの心」で接すればいいのです。

 治療から社会復帰までの全過程において必要なことは2つしかありません。

患者さんに、「時が全てを解決してくれる」「あなたは一人ではない」というメッセージを発し続けることです。

 

第82回

 

「逃亡」という小説の中で、逃亡中の主人公に、ある宗教家が伝えたはなむけの言葉が印象的です。

「日薬」と「目薬」というのです。

「日薬」とは、何事も日時がたてば状況が変わる。何事もなんとか持ちこたえていれば、好転するときが必ずくる。どんな難題も時が解決してくれる。

 

 うつについては、うつ病の中の最重度症例ですら進行するほどの疾患ではありません。「やまない雨はない」この当然の理が、うつ病においては正確に当てはまるのです。

 

 もう一つの「目薬」とは「誰か自分を見守ってくれる人がいる」という実感です。そう思うと、かなりの苦しみにも耐えられます。

 逆に誰も自分を見てくれる人がいないと思うと、人間という者はもろいものです。

家族の立場で、「時が全てを癒やしてくれる」「あなたは一人ではない」と伝え続けることは、すなわち「日薬」と「目薬」を持って、患者さんの心を支え続けるということなのです。

 

 うつの治療医というと、すぐ「心のケア」という言葉を連想しますが、その前に先ずは体のケアです。

先ずは何より、「健全な心は健全な体に宿る。健全な体は、規則的な生活習慣があってのこと」それが、基本中の基本です。

 

 うつの患者は、精神的に落ち込んでいるという以前に、身体的に疲労困憊しています。先ずは、身体に十分な休養を与えなければなりません。

                         

 あらためて、生活習慣の基本をまとめると、

 

 1.睡眠量 具体的には1日7時間ないし1週間50時間。

 2.睡眠相の安定   具体的には朝6時起床、夜11時就寝。平日と休日の起床時刻の時間差を2時間以内に保つ。

 3.アルコールの制限つまり飲酒量を減らす。回数を減らす。薬物療法中は断酒。

 

 私の勤務する独協医科大学越谷病院こころの診療科では、患者さんの半分は、全く薬を使いません。それでも治ってしまうのは、ご家族と協力して、1~3を実行して頂いているからです。本人の意思の力だけでは、なかなか簡単にいきません。

 

【働き盛りのうつと、高齢者のうつとは、ちょっと原因が違います。前者は睡眠不足によるうつ、だから眠らせれば治ります。後者は、むしろ、運動不足によるうつ、だから、歩かせれば治ります】

 

 高齢者の場合、心の健康にとっての最大のリスクは、不活発な生活にあります。「昼間、ゴロゴロ、夜ガサコソ」

こういう生活になると、精神も体も衰えていきます。

 

 昼間は起きておく。布団、ベッドに入る時間は、1日8時間に留める。そのことをご家族も、愛情ある厳しさでご本人に接して下さい。

 

 

第83回

 

「心のケア」という場合、「若者には夢を、高齢者には思い出を」が原則です。

若者には未来を語らせること、お年寄りには過去を語らせることが、そのまま精神療法になります。

夢を語らせると、若者は誰もが溌剌としてきます。思い出を語るお年寄りは、皆、生き生きと輝いています。

若者というものは、うつになったときは、とかく「過去のトラウマ」を持ち出したがります。

 

 でも、彼らにとっては、来し方より行く末の方が長い。「未来を作ること」が先決です。

本来、取り組むべきは「人生」というプロジェクトの立ち上げであり、後ろを振り返っている暇などないはずです。

過去については、忙しい日常のふとした合間に思いをはせれば十分です。見知らぬ人、未知の経験、まだ見ぬ風景への憧憬は、若者が内心抱いている本性です。

 

 彼らの秘めた冒険心に働きかける為には、トラウマなどを一切構わず、夢を、未来を、希望を語っていくべきでしょう。

 

 お年寄りには、未来を語らせることは酷です。

思い出を語るおじいさまは、少年のように青臭く、恋を語るおばあさまは、うぶな乙女のように恥じらいを浮かべるものです。

思い出こそ、お年寄りの財産であり、頭痛、ふらつき、めまい、腰の痛み・・・際限のない体の不具合すら、話題を思い出に向けさえすれば、一瞬、それらは静まるものです。

あらゆる抗うつ薬が副作用しかもたらさない、この年齢にとって、思い出は実に唯一の治療薬なのです。

 うつ病で一番心配なのは自殺です。

自殺といえば、精神医学の経験則として自殺しやすいタイプがあります。例えば、
自分を責める人、自暴自棄になりやすい人、過去に自殺未遂をしたことがある人、不安、いらいら、落ち着きがない人、眠れない人、単身者、独身者、孤独な人、アルコール依存がある人なのです。

 

 自殺防止の最大の方策は何か?

それは【希望を与え続けるということです】

「うつ病は基本的に治る」その事実を他でもない患者さん自身が知っておくことです。それも、周囲の者が何度もくり返し、耳にタコができるくらい言い続けることです。

 

【この苦しみが永遠に続くわけではないということ、いつかは終わりが来るのだということ、そう信じられることこそが自殺に対して何よりの抑止力になります】

 

 自殺に特効薬はないということは、知っておいて下さい。そのような特効薬に期待するよりも、【死んではいけない】と言い続けること、そして、休むこと、眠ること、酒で補任そうとしないこと、そういった基本原則をくり返し伝えていくことです。

 

 抗うつ薬、とりわけ、SSRIなどの新型の抗うつ薬は、上手に飲まないとかえって自殺のリスクを高めます。

上手に飲むとは、決められた量以上に服用しないこと、薬剤効果を高めるために、十分な睡眠、安定した睡眠相、断酒といった原則を徹底すること、これが大事です。

​​第84回

 くり返しますが、薬物療法中の飲酒は厳禁です。

しかし、やけ酒を呷りながら抗うつ薬を飲むような人が、いかに多いことか。そういう人の中から確実に矢医療服薬で、救急救命センターに運び込まれる人が出てきます。

「抗うつ薬を飲むな」とは言いません。しかし、嫌なことを忘れるために、やけ酒を飲むような調子で、あるいは、それこそ、やけ酒と一緒に抗うつ薬を飲むのなら、そのようなことは絶対にやめて頂きたいと思います。

 

 自殺を企てる人は、そのサインとして、いつもと違う行動を見せます。

 

 突然、ギャンブルにのめり込む。
 酒量が増える。一人で飲むことが多くなる。
 唐突に手紙や写真の整理をする。
 一人でいるのを嫌がり、誰かと一緒にいたがる。
 逆に誰とも話そうとしなくなる。
 大切なものを整理したり、人にあげる。

 

 自殺を思いとどませる為に、家族や友人などが入れ替わり立ち替わり声をかけるなどして、本人を見守る態勢を敷く必要があります。

亡き父母、かつての恩師、別れた人、幼い子供、孫、何でもいいですから、本人にとって精神的な絆の強い人のことを話題にして、何が何でもこの世に引き留めるよう努力することです。

 

「人生を投げ出したら、天上のお母様は喜ばないと思う。人生を全うして胸を張って報告できるようになってからお母様にお会いしましょう」

「今、自殺したら、ご子息は同じと死になったときにどう思うか?『父と同じ年になってしまった。もういいだろう』そう思って、やはり自殺を考えますよ。ご子息に悪いお手本を遺してはいけない。ともかく生きることです」

 

 とにかく、この人をこの世に引き止めるためのあらゆる言葉を伝えて下さい。

 自殺を思いとどませる最後の砦は、家族や友人の存在です。最後は精神科医も心理カウンセラーも誰も頼りにならないとあきらめて下さい。

プロによる心のケアなどと言っても、所詮は家族の愛情の代わりになるものではありません。

 

 自殺念慮には周期性があり、時期が来れば憑き物が落ちるように、すっとなくなります。

後で振り返ってみたら「なんであんな馬鹿なことを考えていたんだろう」と思える時が来ます。その時まで家族や友人などは、全力で患者さんの自殺を食い止めることです。

 

 それでもいよいよ危ない、自殺の恐れあり、という切羽詰まった状態に至ってしまったらどうするか?

緊急避難として精神科病院への入院を考えてもいいでしょう。精神科の病棟は、現代の駆け込み寺です。

 

 ただし、駆け込み寺への滞在は基本的に一時的です。うつ病での緊急避難的な入院も同じです。

患者さんは、入院する前から辛い思いや経験をしていることが多いですから、気持ちの整理をする時間が必要です。

それでも、その期間は通常、数日から数週間で十分です。数ヶ月から数年などというスパンで考える必要はありません。

 

第85回

 

 うつ病は、自殺さえ回避できれば、決して「死に至る病」ではありません。

憂うつそのものは病気ではなく、正確な情緒的反応です。うつも不安も不眠も人生にはつきものです。しかも、それらは通常、時間が解決してくれます。

 

 その意味では、人生の味わいにおいて、憂うつはむしろ不可欠の一要素であり、香辛料のようなものと言っていいでしょう。

人生を味わい深く豊かにしてくれるはずの憂うつは、本来は医療の対象とする必要はありません。

 

 脳の病気で症状が出ている訳ではなく、むしろ、「正常な脳の昨日の結果、症状が出ているに過ぎません」

辛いことがあったら憂うつになるということは、病気ではなく正常です。脳は正常に動いていますから、薬を飲む必要はありません。うつも不安も不眠も人生にはつきものである。

 

「うつは心の風邪」キャンペーン以降、精神科の敷居は低くなりました。

しかし、本当に気軽に精神科にかかるべきだったのでしょうか?

気軽に病院になんか行くものではなく、相談する前に少し無理してでも、自分なりにあれこれ工夫してみるべきだったのではないでしょうか?

実際、気軽にお医者さんに相談した結果、起きたことと言えば、それは【悩める健康人の大量の『うつ病』化です】

【悩みは解決されるどころか、薬漬けになってさらに別の苦しみさえ付加されてしまいました】

 今日の精神科薬漬け医療に関して、正面から問わなければならない問題は、医者と患者さんとの間の「えせ契約」です。

「えせ契約」とは、簡単に言えば、医者にできることと、患者さんが求めていることとの乖離ギャップのことです。

患者さんの医療に対する期待は実に大きい。でも、医療にできることことは限られています。ここに巨大なギャップがあります。

そのことに双方気づいているのに。気づかないふりをしています。

 

 そして、医師は患者をだまし、患者の医師をだまし、双方、だまし合いに気づきつつ、いつまでもそれをやめようとしない。これが「えせ契約」の本質です。

 

 2001年、英国医学雑誌でリチャード・スミスは、「なぜ、医者はかくも不幸なのか?」と題する巻頭言を寄稿し、「えせ契約」の問題を論じました。

 

 現代医学を過信する患者さんたちは、医者はその気になれば何でもわかるし、相談すれば何でも解決してくれると思っています。

 

 一方、医者には限界があり、行きすぎた治療は危険だと思っています。

この医療を過大評価する患者と、過大評価を知りつつ誤解を解こうとしない医者との間で、治療契約は相互欺瞞の営為と化したと彼は言うのです。

 

 それに対し、スミスは、患者・医師間の合意点を探ろうとします。

先ず、患者・医師双方が過酷な現実を認めるべきで、「医学には限界があり、社会的問題を解決することはできないし、危険ですらある」ということです。

 

 そして「患者は問題を全て医者に丸投げしてはならない」し、「医者はできないことはできないと言うべきだ」と言うのです。

 

第86回

 

 

 今日、「うつだ」「不安だ」「眠れない」という理由でお越しになる患者さんも、診察室にそれ以外の種々雑多な問題をお持ち込みになります。

患者さんが実際に生物学的な「うつ病」である場合もあります。

しかし、それだけでなく、超過勤務、パワハラ、派遣切り、失業、多重債務、家族などの対人問題など実に多様な問題が含まれます。

そして、患者さんは、さしたる躊躇もなく「どうしたらいいのでしょうか?先生はお医者さんでしょ?」とおっしゃるのです。

 

 しかし、私ども精神科医は、「死、病、痛は人生の一部である」「精神医学には限界があり、メディカルでない問題を解決することは出来ないし、危険ですらある」ということについて、患者さんのご理解を求めていかなければなりません。

そして、何よりも私ども自身が、この事実を受け入れていかなければならないのです。

 

 例えば、薬物療法です。薬に出来ることなんて、たかが知れています。

抗うつ薬には「抗うつ効果」、つまり、うつに抗する効果があるとされています。でも、それはあくまで生物学的な効果、脳と関係ないところで、発生した問題には薬は届きません。

 

 抗うつ薬には、「抗多重債務効果」「抗パワハラ効果」「セクハラ上司撃退効果」「DV夫矯正効果」などはありません。

結局、こういう問題は「どうぞ、皆さんで話し合って下さい」「弁護士事務所とか、労働基準監督署で相談してみて下さい」などと言って帰すしかありません。

 

【そして何よりも、患者さん自らが、薬なんかでごまかさないで、自分の問題に向き合っていかなければならないのです】

 精神科医なんて職業は、この世から消えてなくなってもたいしたことはありません。ただ患者さん自身が、「自分の問題を解決できるのは自分だけ」という自明の事実に向きさえすればいいのです。

 

 でも、そのことが難しいので、精神科医という職業に頼ろうという人が、いまだにいるかも知れません。

その場合、知っておいて頂きたいことがあります。

 

【患者を治せる精神科医はいない】ということです。

 

 うつ病を精神科医なんかが、治せるわけはありません。この世に患者さんを治せる精神科医なんて一人もいません。

私も精神科医になって、四半世紀が過ぎましたが、一人の患者さんだって治したことはありません。

私がしてきたことは、ただ、「こうすれば治るかも知れない」という提案をしてきただけです。それで治る人がいたら、それは幸運です。

 

 でも、その場合、治したのは私じゃなく患者さんご自身です。

精神科医バッシングと名医礼賛とは、一見相反するように見えて、実はそこに共通する心性があります。

それは「精神科の先生に治してもらおう」という受け身の姿勢です。

 

 精神科医は頼るものではありません。利用するものです。

 

 精神科医の役割は、落ち込んだり傷ついたりしている患者さんに対して、今、置かれている状況を客観的に見て、日々の生活を検討し、どこが悪く、どこをどうすれば少し心身の状態が良くなるのかの提案をすることにあります。

そして、最終的に「勇気を持って現実に向き合うように」と促すことが仕事です。

​​第87回

 私たち精神科医も患者さんに申し上げなければなりません。

「親愛なる皆さん、あなたの主治医が何をしてくれるのか問うのではなく、あなたがご自分のために何が出来るのかを問うて下さい」

 人生の主役はあなた自身です。あなた以外の誰一人として、あなた自身の問題を解決してくれる人はいません。私たち精神科医はたかだか、その手伝いをするに過ぎないのです。

 

 以下のメッセージをお伝えして本書のまとめとします。

 

 不安、悲しみ、憂うつ、自己嫌悪、それらは人生につきまとう致し方のないものなのです。

 私どもには、これらの全てを取り去って差し上げることは出来ません。

 薬は人生をバラ色に染め上げるものではありません。

 貧困、失業、超過勤務、パワハラ、派遣切り、多重債務、対人関係・・・。

 

 これらの問題を投げかけて下さっても、私どもはまことに無力です。

 薬はこれらを解決してくれないでしょう。

 ご自身以外の誰一人、これらの問題を解決する人はいないのです。

 どうぞ、お忘れにならないように、人生の主役はあなた自身です。

 ご自身が人生の主役である、とうことをお忘れにならない限り、

 私どもは微力ながら、ご支援を続けるでしょう。

 時の流れが全てを洗い流してくれるその日まで。

 

 

ここから、紹介するのは、『「子供の発達障害」に薬はいらない』(井原裕・青春新書・2018年刊)からです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全国の公立小・中学校で「通級指導」(比較的軽度の障害のある児童生徒が通常学級に在籍しながら障害の程度に応じて特別な指導を受けるための制度)を受けている子は、2016年度に9万8000人を超えました。この20年で、8倍に増えたことになります。

 

 そして今、その発達障害の子供のにおいて、薬を飲むケースが増えています。

本来、その多くが大人のために開発された筈の薬を小学生のような若年者が飲んでいるのです。

 

 そもそも、発達障害と診断された子供は、薬を飲んだら「発達」するのでしょうか?
何のために、発達障害児に薬を飲ませるのでしょうか?私は疑問を覚えます。

もちろん、発達障害に伴う落ち着きのなさや興奮、眠気などに対して補助的に薬を使えば、多少の効果があるかも知れません。

 

 でも、それは単に困った行動を表面的に抑えているに過ぎず、発達障害児の健やかな成長に役立っているとはいえません。

薬は、一時的な使用に留めるべきであって、漫然と飲み続けるべきではないでしょう。

必要な薬は処方しますが、薬は「最小限の必要悪」であって使わないの越したことはありません。

使う場合も「必要な患者に、必要な量を、必要な期間に限って」を原則としています。

大人に対してすらそうですから、まして子供には、私は必要以上に薬を飲ませることはしたくありません。

 

第88回

 

 国民的なアニメ「サザエさん」のテーマ曲の歌詞。

「お魚くわえたどら猫 追いかけて」「買い物 財布を忘れたサザエさん」・・・。

精神科医というものは、あらゆることを症状とみなし、あらゆる人に「診断」をつけたくなる悪癖があります(職業病)。

 

 ひとたび精神科医にかかれば、「衝動性あり」「不注意あり」ですから、たちまちサザエさんは「成人期多動性障害」と診断される可能性が高いでしょう。

 

「発達障害」といっても多くの種類がありますが、代表的なものであるADHD(注意欠如多動性障害)と自閉症スペクトラム障害について簡単に説明しておきましょう。

 

「ADHD」は、文字通り「不注意」と「多動性」が主症状で、計画性や落ち着きがないのが特徴。整理整頓が苦手で忘れっぽいため、ケアレスミスが多く、だらしないと思われがちです。

 

 自閉症スペクトラム(広汎性発達障害、アスペルガー症候群)は、対人スキルが上手でなく、社会性に問題があり、特に対人場面での想像力がないのが特徴です。人の思惑を察することが苦手で、いわゆる「空気が読めない」タイプです。

私は、「自閉症がエスプレッソだとしたら、アスペルガー症候群はアメリカン」と説明しています。

 

【本当は、診断をつけることが、その人にとってメリットがあるかどうかがポイントです。診断が単なるレッテル貼りに終わっては、有害無益と言えるでしょう】

又、「○○症候群」「○○障害」と診断名がつくことで、患者さんの方も安心してしまうところがあります。

 

 今まで、なんとなく生きづらかった、人間関係がうまくいかなかった、トラブルばかり起こしていた、それが「私が悩んでいたのは病気のせいだった」と、そんな安心感に陥ってしまうのです。

 

 しかし、病名をプレゼントしてもらったことだけに満足せずに、【さあ、これからどうするか?】と問わなければいけないのです。

 1人ひとりの患者さんに、自分がたった一人しかいない、唯一無二の存在という事実を改めてご理解頂く必要があります。

1人ひとりにユニークな個性があり、その人にしかない魅力があるはずです。

それを全く考慮することなく「○○症候群」「○○障害」といった病名の中に、個性を押し殺してしまうことは、本人のためになりません。


 1人一人の個性が、ノイズのように粗雑に扱われ、「皆なと違う」というだけで障害にされてしまう。そんなおかしな話はありません。

【小児科医も精神科医も、診断名をつけることに伴うリスクに鈍感になってはいけませんし、診断される患者さん側も「病気とわかって良かった」と安心しないで欲しいのです】

 

【診断とは危険なもの。あらゆる人間の個性を平準化しようとする濁流のようなものです。人格としての個の価値など、一顧だにしません】

 

 でも、医師の仕事とは、個性に病名をつけて、それをならして矯めて平均的な人間に作り替えることではないはずです。

表面的な行動だけを見て、やれ症状だ、やれ障害だと空騒ぎして、患者さんの生きている生活そのものを見ようともしないで、強引に治療と称する強制を行うことが、果たして精神科医の仕事と言えるのか?

治療の前に、患者さんの心の内面を大切にすることは、個性を尊重して、その個性が世間という荒波にもられる中で傷ついてしまったとすれば、その経験を乗り越えていくか、そのあたりのことを一緒に話し合うことこそ精神科医の仕事です。

 

【「自尊心の回復」が精神科臨床の究極の仮題であり、その家庭での援助を続けることこそ、精神科医の仕事の筈です】

​​第89回

 

 今、学校生活上のありとあらゆる問題を、本来、医療の管轄でないものを含めて、十把一絡げに医療に投げてしまう傾向があります。

「お医者さんに聞いてみよう」「お医者さんなら何とかしてくれるだろう」そんな期待を抱いて、学校の先生方が、何でもかんでも精神科医に持ちかけようとします。

 

 多分、発達障害の専門家と称する医者たちがいなければ、こんなことにはなっていなかったでしょう。

NHKの「中学生日記」、TBS系の「3年B組金八先生」の中では、学校内の様々な問題が発生しても「じゃあ、お医者さんに聞いてみよう」などと言い出すシーンはなかったように思います。

「医者に聞いてみよう」と思わなかった理由はシンプルです。【生徒の問題行動を病気だと誰も思っていなかったからです】

 

 ところが、今日にあっては、学校の問題は冷静に考えれば病気ではないものを含めて、あたかも、それらを病気の症状のように見なして、医学、医療の対象にしようとしていく傾向があります。

学校の先生方は困り果てていますから、誰でもいいから他者の言葉を権威をもって受け止めたい心境になっています。

それで、本当は素人コメンテーターに過ぎない医師の意見を、神の託宣のごとくに崇め奉っています。

 

 本当は、医師など学校問題については素人に過ぎないのに、いつの間にか権威者の地位に祭り上げられてしまうのです。

端的にいって「学校での行動上の問題を、あたかも病気の症状のように見なしたがる」「問題のある児童、生徒を悪者扱いして病気を作り出している」というのが実情なのです。

 私自身は、診断書に次のように付記したことは、1度や2度ではありません。

 

「精神医学的には○○障害に該当すると考えられますが、この診断名をもって当該生徒の学校での問題行動に対する対応法が導き出されるわけではありません。先生方同士で十分な話し合いを持っていただくことを希望します」

医療は万能ではありません。出来ることと出来ないことがあります。率直に言って、学校での問題行動を解決するだけの知恵は、医師たちは持っていないのです。

 

 発達障害の児童、生徒が、薬を飲んでも、それですくすくと発達し始めるということはありません。

発達障害に対して現在使われている薬の中で、初めから発達障害を治すことを目的に開発されたものはありません。

確かに、「コンサータ」が、ADHD(注意欠如多動性障害)を健康保険上の適応症としているのは事実です。

しかし、忘れてならないことは、コンサータは、本来ナルコレプシーと呼ばれる眠り病の一種に対して、「眠気覚まし目的」に使われていたに過ぎません。

 

 多動性障害に使ってみたら、たまたま効いたことがあって、ついに保険収載まで勝ち取りましたが、所詮は眠気覚ましの薬で、多動性障害の症状の全てをこれで治せるわけではありません。

 

 まして、自閉症スペクトラム障害には、治せる薬なんかありません。

ただ、発達障害で使われる薬は、興奮や衝動性を抑えるといったある種の行動症状に対しては有効な場合がありますが、あくまでも、一時的に症状を抑える対症療法に過ぎず、その行動症状が強く出ているときに、一時的に使えばいいということです。

 

 必要な薬を、必要な子供に、必要な量、期限に限って、最小限に使うということです。(続く)

 


 

 

 

もまた重要な役割を演じていたのです】

中には、「簡単に始められる」「儲かる」といった理由だけで、まだ精神科医としては技量を十分獲得していない段階から拙速な開業を敢行する人もいます。

それどころか、精神医学のトレーニングを受けたことのない他科の医師が、素人芸でメンタルクリニックを開業してしまうケースすら出てきました。

こういう劣悪なクリニックでは、精神科医のプロの仕事、つまり精神療法など到底出来ませんから、薬を出す以外何も出来ません。患者は当然、「多剤大量処方」で、薬漬けになってしまいます。(続く)。

202109hattatusyougainokodomoni.JPG
bottom of page